言葉、音、映像、姿形、色ー。
どんなものにも心に残る長さ、
残響というものがある。
相性も好みもあるし、自分の精神状態によっても残響の長さはちがう。
何ヶ月もエンドロールで流れていた曲が頭のなかで鳴りっぱなしの時もあれば、
3日と経たず結末の思い出せない本もある。
すこし前に読んだこの本は、長いことわたしの中に留まっていた。
『敏感すぎる私の活かし方』
エレイン・N・アーロン著
秋から冬にかけて、しばらく起き上がれなくなるような身の振り方をした。
はじめてのことではない。
パターン化してると気がついて、これはだめだと思った。
数ヶ月前に喫茶店で見かけたHSPの本をふと思い出して、図書館で借りてきた。
布団から出られなくなる動き方をしていた自分のメカニズムというか、
自分が搭載してきたコンピューターで言うOSの仕組みが、
ほんのすこし解った気がした。
もっと知りたい、とHSPに関する本をしこたま借りて、買った。
その渦中で出合った一冊だ。
HSPというと“直感が優れている”というのが常套句のように躍り出てくるが、
わたしにはそこに優生思想が見え隠れする気がしていた。
そのせいか、長いこと自分がHSPの気(け)があるとは思いたくなかった。
“ひとより見えるわたし”
それはただの思い上がりではないのか。そう自問していた。
本を読み漁り、自分にもHSPのクセがあると認めざるを得なかった。
今でも、優生思想の香りがそこはかとなく漂っていると感じることはある。
それでもわたしはこの本に救われた。
生まれたときから身体の裡にそなわっていた質(たち)を、
著者は良いものだと言い切った。
たとえ何年翻弄されようとも、内なる問いや内なる声に同調する「解放」の日は必ずやってくる。心配しなくていい。
そう言ってくれた。
著者の言う「直感」(255〜258頁)は、直感というより想像力や、
場を上から見る俯瞰にちかいと思う。
見える直線距離がひとより長く、奥行きがあるのだろう。
その見晴らしの良好さが、“勘・感”に置き換えられているのではないか。
「あなたはよいものだ」
そう断言してもらえるのは望外の歓びだった。
おなじ河を渡る者が、前でもなく後ろでもなく隣りにいる。
+++++++++以下引用+++++++++
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