『毎日をもっとゆっくりと』 ベニシア・スタンリー・スミス 著
古民家の庭から図書館へ
2023年6月に亡くなられた、ベニシア・スタンリー・スミスさん。
ハーブの研究家でありNHKで番組を持っていたのは知っていたが、番組を観たことはなかった。亡くなられたあとで京都・大原の古民家を改装して住んでいた様子や家族写真を記事で見かけて、ふと本を読んでみたくなった。
図書館にはハーブの本から大原での生活をつづったエッセイまであり、数冊借りてきたうちの1冊がこの本👇
『ベニシアからの言葉の贈り物 毎日をもっとゆっくりと』
ベニシア・スタンリー・スミス著(世界文化社)
ちいさい虫も土のにおいも私自身は不得手なのだが、初冬の大原の高野川にかかった朝靄やシロツメクサの葉の緑はいつまでも眺めていたくなる。写真はすべてベニシアさんの夫・梶山 正(かじやま ただし)さんが撮っている。
(以下、引用はすべて『ベニシアからの言葉の贈り物 毎日をもっとゆっくりと』より)
ブレイクの詩に生命の輪
洋画でよく引用されて覚えていたウィリアム・ブレイクの詩が、ベニシアさんの本にも出てきた。原文は映画で耳にした程度でこうしてじっくり読むのははじめてだ。the worldではなくa world, the heavenではなく a heavenとなっているのはとくべつな意味があるのか。文字にして読まなければ冠詞を疑問に思うこともなかった。
「自然界の命の輪が生きとし生けるものの共存の土台になっている」
そう綴ったベニシアさんの心にうかんだのはブレイクの詩の一節だった。その詩を読んだ私は"circle of life(いのちの輪)"の言葉が浮かんだ。輪ゆえに始りも終りもない。花が朽ちて命が絶えてもそれが新たな生命を育む胎盤となる。終りがあらたな始りを生み、それが綿々とつづいてゆく。まさに共存だ。
もの言わぬ薬
日の昇るまえに布団を出たら、私はまずお湯をわかす。大寒に入ったせいか温かいものをなにより身体が欲している。
朝子どもを見送って玄関で靴を脱いだら、リビングで座って温かいものを片手にひと息つきたくなる。
落ち込むことがあれば座って温かいカップを両手ではさんで大きな息をつきたい。
雪の舞う季節に読むと、この言葉をより理解できる気がした。
気落ちしたときはお茶が心をなめし、煮詰まったときは気分転換になる。自分に喝を入れたいときには精を与えてくれる。まるで物言わぬ薬だ。
人によってはそれが珈琲だったりチョコレートだったりするのだろうけれど、どんなときでも傍らに在るその役割は変らない。
禍福にかかわらず在るもの
棲む場所も寄り道も遊び相手も日々に望むことも、どれひとつとして変化しないものはない。一方、常に在るのは満たされたいという願いだとベニシアさんは言う。それを遂げたければ外に目を向けるのではなく内に種をさがすのだ、と。
ベニシアさんの指す富(resource)は、所有物や財産というよりも糧(かて)に近い感じがした。
雨が降ってもバスに乗ろう
私自身は元来無精者で週に入れる用事は2つが限界。一日外で過ごした翌日は家に居たい。放電したら充電が要る。
そんなだから、嵐がきたら迷うことなく家の窓から雨をながめていたい。
でも、ときに雨のなか出ていくことも必要なのかも知れない。家の窓越しにではなく雨に降られながら雨をながめる。自ら雪景色ならぬ雨景色の一部になって雨とともに動く。それを「雨の中で踊る」と言うのだろう。
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