福袋の中身は「ワタシハダレ?」の種だった
福袋が苦手。
お得は好きなので、「何円相当」というのに惹かれはする。
好きなショップの福袋の場合、そうそう変なものは入っていないでしょうという気にもなる。
例として、「こんなものが入ってますよ」と出されているサンプルのセット内容がいいとなおさら惹かれる。
中身よりも、ワクワクが重要だと言う人もいるだろう。
福袋は
運試しにもなるし
儲けものになるかもしれないし
自分では買わないものが入ってると新しい発見にもなるし。
そう思って、たまーーーーーーーーーに買う。
けれど、たいてい、開けると後悔する。
最近の福袋は、ちゃあんといいものは入っている。
確かにお値段だけで考えるとお得なことに間違いない。
ただ、自分の好きなものとは違うと感じる。
好きなものを引き当てられるか、の運の問題かもしれないけど。
中身を見ると、あの人だったら好きかも、似合うタイプの人いるよねと思う。
「〇〇な人にとっては当たりの中身だよ」
と思ってはみても、その〇〇な人は私ではないのだった。
意外にも、自分は好みがはっきりしていることに気づかされる。
慎重派の私が、これまで恐る恐る買ってきた福袋。
それらの功績は
・より一層、私の財布の紐を固くしたこと
・私は意外にも好みがはっきりしているのだとわからせてくれたこと
になるだろう。
片付け本などに、よく書いてあるのは
服も物も「安いから」で買ってはいけない
定価でもそれを買うか?
何かの代わりに買っていないか?
など耳の痛い言葉たち。
そんな言葉たちを読み、
「すみませんでしたぁっっ!!」とひれ伏しながら気づく。
ものを手に入れるでも、サービスを受けるでも、体験をするでも、
私は何かを決定するとき「料金」に大きく左右されている。
・お金がかかるか
・それは相応と思える額か
・もっと出費を抑えて同じ満足度を得られないか
だから予想より値段が安い状況に弱い。
服でも雑貨でも、値段をみる前に検討するクセがついている。そして値札を見て、それよりお安いときはグラリと来がちだ。
でも本来、自分の目利きを認めることができていたら、いいなと思ったものの値段は高いほうがいいはず…
誰かに、自分の買ったものを見せて
「これいくらだったと思う?」と聞いたとき、
関西の人は、実際の値段より高い金額を言われると喜ぶと聞いたことがある。
「ほんとはもっと安く買った」ことがうれしい。
その精神は九州育ちの私にも脈々と流れている。
だから、つい、感覚的に
自分が思うより安いものを買えるとうれしいと思ってしまう。
もちろんお財布から出ていくお金が少なくて済むのも大きな要因だけど、
それよりもそういう血みたいものが大きく関係している気がする。
だけど
自分のことを本当に信じてあげている場合は、
「自分が望むもの」の価値を金額にしたとき
「高い」ほうが、いいことなのかもしれない。
良いと思うもの、望むものは人によって本当に様々だけど。
福袋の中身を見て、良くも悪くも、
「自分の好み=本当に好きだと思うもの」を確信できたら。
その次は 「本当に好きなもの」の「価値」を自分で認めてあげたい、とも思う。
本当に好きと思うものに出会った時、
その対価を納得して支払える自分になりたい。
もちろん、セレブな暮らしとは程遠いので
なにかと限界はあるのだけれど。
値段を理由に、買えないなと諦めることは物理的にあったとしても。
値段を理由に、GOすると決めることはやめてみようかと思う。
まぁ、値段が背中を押してくれて、
それがいい方に向かった経験は割とあるから
結局その時の気分なのかもしれないけれど。
福袋で、私が見つけた価値観は「これじゃないな」というところまで。
私の好きなものって、なんだろうと考えるきっかけになった。
自分なりの価値観の「種」を分析したり育てたりして
自分にとっての「福」を考え、選んでいきたいなと考えた年始めでした。