あべ まおこ

大学とお笑いと社会問題で生活の9割説明できます。哲学者・鷲田清一の言論をこよなく愛する二二歳。

あべ まおこ

大学とお笑いと社会問題で生活の9割説明できます。哲学者・鷲田清一の言論をこよなく愛する二二歳。

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問わず語りスコットランド

留学日記的なブログには一定のあこがれがあるものの、そんなにマメでもないし、「留学生の『貴重なる経験談』を特別に教えます☆」みたいなスタンスも嫌で、それでも何かしら見たり読んだりできるものにしたいと思っていた。だから役に立つやつではなくて、ここに来なければ知りえなかったようなことを自分宛てに淡々と記録してみたい。だからキラキラもしていないし、分かりやすい困難と挑戦と奮闘があるわけでもない、言うなれば「エディンバラの平熱」(鷲田の『京都の平熱』のパクリ)。 留学生活も半年を超え

    • 墓石との距離、パリの元旦

      ピエール・ブルデューという天才がほんの20年前まで生きていたという事実は、ことあるごとにわたしを奮い立たせてくれる。 彼はわたしの憧れる、いや憧れるのすら恐れ多い偉大な社会学者・哲学者である。 どれくらい憧れているかというと、パリの書店で日本語に翻訳されていない講義録を見つけ出し、フランス語を読めもしないのに大事に日本まで持ち帰るほどだ。と言っても伝わらなければ、相手が「社会学部」の学生だと知るや否や、抑えきれずに「あのぅ、ブルデューとかって読んだことあります?」と聞いてし

      • 海外おんな一人旅の覚書

        海外旅行の敵といえば、体調不良、突然の尿意、来ないバス、ローカルフードで腹壊す、スリにボッタクリ。旅慣れてくる程に、これらはなんとなく処理・回避できるようになるのだが、一人旅の女がどうしても避けて通れないのが「ヤバい男」である。 街中のナンパなんてカワイイものである。コニチワ!ビューティフル!カムカム!なんて言われたら適当にありがと〜チャオチャオ〜👋とか返しておけばよろしい。 留学先の期末期間が終わって、旧ユーゴスラビアの国々を一人で旅行していたとき、コソボからアルバニアに

        • 「K」が死なない世界線のリアル

          「それでね、私は11月末ぐらいから好きだったわけ、彼のことが」 「うん、知ってる」 「いつもの5人で一緒にクリスマスマーケット行ったりしてさ、スケートリンクあるじゃんあそこ、すごい晴れてて溶けかけてて、ジーパンびしょびしょにしたり。他の3人は知ってたんだよ、それで私と岳で2人になれるように気回してくれたりして」 「ストーリー見たよ、やってんねぇ!?って思ってた」 「そうよ、イルミ見ながら次は2人で来たいなーとか妄想してさ? でもなんか、だんだんおかしいなー、みたいな。

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        問わず語りスコットランド

          「めちゃくちゃ愛想がいいひと」が考えていること(フィールドノート)

          人と話したあと、とくにさまざまな意味で「この人は」、と思う人と話したあと、自分の言動について「独り反省会」をすることがよくある。 なんであんなこと言っちゃったんだ、キツかったかもしれない、こういえばよかった、なんて不愛想な返事をしてしまったんだろう、どうしてこんな薄いリアクションしかとれないんだろう、などとぐるぐるぐるぐる、大反省会を繰り広げる人は少なくないはずだ。 そのとき、小巧いことを言えなかった(プラスにできなかった)ことよりも、やってしまったこと、言ってしまったこと

          「めちゃくちゃ愛想がいいひと」が考えていること(フィールドノート)

          本好きは本屋でなにをしているか

          何の本を読むべきか、というのは人生の課題です。 そう思っている人は案外に多いとみえて、本好きを自称していると同年代のともだちから「本屋でぶらぶらとは実際何をしているのか」というイイ質問や、「どうやって読む本・読みたい本を選んでいるのか教えて」というリクエストをときどきいただく。社交辞令は一旦本気で受けとるのがモットーなので、このたびまとめて書いてみたい。 わたしは読むのが遅いし、読書履歴も浅薄だし、海外文学に至っては「あ、あぁ、オスカー=ワイルドね。『ドリアン・グレイの肖

          本好きは本屋でなにをしているか

          ファクトは大事だけれども

          報道や政策や意見が、ファクト(事実)に基づいていることは大切です。というか基本です。あたりまえのことです・・・本当はね。 でもそのファクトって、改めて考えてみるとなんなんでしょうか。どこまでを指すのでしょうか。英語でいうところのfactとtruthの違いはなんでしょうか。 似たような疑問はジャーナリズムに興味のある人なら一度は考えたことのある問いかな、と思います。 もう少し単純に言い換えを試みると、factにはtruthがどれくらい反映されているのんか、そもそも人間による意

          ファクトは大事だけれども

          ありがとう東京03、わたしはコントを知らずに生きてきた

          最近人と語れる分野に「お笑い」というレパートリーが増えた。正確には「関東のコント師」。 親がお笑いをあまり好かないのもあって、高校まではテレビでもコメディ・バラエティの類は全然見なかったし、youtube見すぎて通信速度制限になった、という友達の話も全然ピンと来なかった。学校でみんなが流行りの芸人を真似ているのを見て聞いて、「へ~こんなのが流行っているのか」と知る程度だった。 ところが、大学の友達、一人暮しの部屋に寝袋を置かせてもらうくらいしょっちゅう遊んでいた大阪出身の

          ありがとう東京03、わたしはコントを知らずに生きてきた

          粗品がほんとうに粗末なモノでも、文句言わない?

          先日、自分の書いたものに「ご笑覧下さい」と付記して投稿しようとして、手が止まった。いま晒そうとしているこの読み物は、はたして人様の貴重な数分を奪ってまで読んでもらうに値するものだろうか、という気がした。 ご覧ください、ならそんなにひっかかりはない。この違いはどこから来る? 笑覧、という言葉にあまり馴染みのない人もいるだろうから辞書を付け加えておこう。要は読んでください、の最上へりくだりバージョンだ。 しょう‐らん【笑覧】自分のものを人に見てもらうとき、つまらないものです

          粗品がほんとうに粗末なモノでも、文句言わない?

          鳩の顔した蛇であるなら

          わたしは高校卒業式の答辞の、ゴーストライターをしていました。 みんな知ってたからゴーストじゃないか。とにかく答辞職人でした。 中高一貫校で、そこへの愛というのはもう語りつくせない。 思い出したくないほど恥ずかしいことが厭というほど詰まっていても、まあたぶん生涯忘れられないでしょう。そこで会ったひとや、言葉にしてしまえば凡庸な日々が、わたしは大好きでした。(今日はじぶん語りが続きます) だから6年間をひしと抱きしめて、万感を込めて、じつに自由に、友人2名と原稿を書いたのです

          鳩の顔した蛇であるなら

          謙遜が他者を傷つけるとき

          前回の投稿、非常に多くの方に読んでいただき、友人知人からもかなり連絡をもらって驚き嬉しく、身の引き締まる思いでもあります。フォローしてくださった方ありがとうございます。早く書くことが苦手なので、ゆっくり、でも深くを心がけて書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。 どれもこれも長いので、そのうち短いのも書いてみようー。 さて。 ターゲット層ではないことを自覚しながら、わたしは『暮しの手帖』を愛読しています。 そのなかに荻上チキさんが文章、ヨシタケシンスケさんがイラス

          謙遜が他者を傷つけるとき

          「話してもわからん」をひっくり返したある日の学長からのメール

          大学のオンライン授業は通常授業よりしんどいことがわかりました。主な原因は、初のオンライン授業で気合を入れすぎた先生たちです。いや、教育熱心なのは本当ありがたいんですけど。。わたしたち、先生の授業だけ取ってるわけじゃないからそんなに頑張らないでいいんですよ!!??!と言いたい。 今日はちょっぴり内輪話&わたし自身の話にはなるんですが、誰でも読めるように書くぞ。一言でいうと、国際基督教大学(ICU)のある学生が学費の一部を返してほしい!という署名運動始めた→大学側の回答が誠実す

          「話してもわからん」をひっくり返したある日の学長からのメール

          ひとは弱いので、知性で生きのびなきゃいけない。

          春学期の授業がすべてオンラインになって、大学寮に住んでいる学生にも退居勧告が出た。わたしは実家に戻ることにした。親類がアメリカにいる友達は、福岡にある家に行くというが、そこで独り暮らしをするらしい。近くに友達はおらず、言葉も通じない環境は、さぞや不安だとおもう。わたしも仲間と散り散りになる。疎開、ということばがちらついた。 正門から続く一本道に満開のさくらはせつないけれど、しかし、自然は平等だね、とおもうと心強いような気もする。 ウイルスもまた自然。ウイルスの側に作為がある

          ひとは弱いので、知性で生きのびなきゃいけない。

          ワニくんが死んで、1週間後に想うこと

          ワニは死んだ。ワニは死んだままだ。そして我々がワニを殺したのだ——。 ワニくんを失った1週間前、なんとも名状しがたい傷心を抱えながら中央線に揺られていたら、突如かの有名なニーチェの言葉が降ってきた。「神」を「ワニ」に変えて。 ※「100日後に死ぬワニ」とは…… クリエイターのきくちゆうき氏がInstagram,Twitterにて公開した漫画。内容としてはワニとその仲間のごく平凡な日常の些事について、毎日4コマで表現される。連載開始から100日で死ぬということは1作目から予

          ワニくんが死んで、1週間後に想うこと

          存在を揺らす、ということ

          先日、といってももうだいぶ日が経ってしまったのだけれど、 1日だけバイトをした。 普段はバイトではなくインターンをしているのだが、あるとき急に、わたしは「あべまおこ」しかしてないな、と思ったからである。 つまり、わたしはどこにいても「あべまおこ」として存在することを許され、自分の色をもっと出せと言われることはあっても、個性を消せと言われることはまるでない(とんでもなく幸せなことだ)。大学の授業やインターンや友だちといる時はもちろんのこと、合唱しているときでさえない。 いま

          存在を揺らす、ということ

          「やさしさ」ってなんだろう?

          一発目はもうずっと気になっているこの話題から。 9月、わたしのめちゃくちゃ尊敬するインターン先の先輩が、その送別会で、事業部ひとりひとりに写真、その裏にメッセージと「その人と語りたい本」を添えるというなんとも粋なことをなさった。 「まおことは、ひとに寛容になることとか、やさしさとは何かというようなことについて沢山語ったので、この本にしたよ」とのこと。そうそう。じぶんが全然優しくない人間だからか、やさしさというテーマが、とっても気になっている。 そこで推薦してもらったのが『

          「やさしさ」ってなんだろう?