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紫式部日記は紫式部の本音が見える

こんよろです🍁
古典Vtuberのよろづ萩葉です。

今回は動画「【紫式部日記】秋のけはひ/土御門邸の秋(内容意訳・原文・解説)」を振り返っていきます。

紫式部といえばやっぱり有名なのは「源氏物語」。
でも僕は「紫式部日記」の方が好きです。
比べるものではないかもしれませんが、あえて比べる言い方をさせていただきます。

「源氏物語」はあくまで物語です。実話ではありません。
「源氏物語」は紫式部にしか書けない物語だったと僕は思っています。

やっぱり作品には作家性が出ると思うし、現代の僕たちが一日で得る情報量と平安時代の人が一生の間に得る情報量は同じくらいだという話もあります。
本当かどうかはわかりませんが、SNSもない時代、自分で見たものや聞いたことを頼りに小説を書くとなれば、どうしても「その作者にしか書けない」ということになるだろうと思うのです。

そうは思うものの、じゃあ「源氏物語」には紫式部の考えや価値観だけが込められているかというと……そんなことはないですよね。

初めのうちは内輪だけ、もしかしたら人に読ませることすら考えていなかった可能性はあります。
ですが、紙を支給してもらうようになり、長編小説になり、中宮や帝が読む物語になった。
そうなると、どうしても「読者のための物語」になります。

僕は、「源氏物語」に描かれる価値観が全て紫式部の考えているものだったとは思っていません。

じゃあ「紫式部日記」は読者を想定していないのかと言われると、そんなことはなく、やっぱり仕事として書いているので「紫式部が考えていたことだけ書かれている」というわけにはいかないと思います。

ですが、「紫式部日記」は「紫式部自身の日記」という形で書かれています。
ということは、誰が読むために書いたにせよ、「紫式部が読者に見せたい自分の姿」が書かれていると思うのです。

良いことばかり書いて見栄を張っていた、彰子の女房としての理想像を書いていた、というのはあるはずです。
彰子や道長のことを持ち上げているのは事実です。
でも同僚が読むものに嘘なんか書けないですよね。

「紫式部日記」は「紫式部が考える理想の彰子の女房」という立場で書かれている、とすれば、作り物語である「源氏物語」よりも紫式部の本心が垣間見えるのではないかと思います。

そして、「枕草子」の中に描かれる清少納言と中宮定子の関係と同じように、僕は「紫式部日記」の紫式部と中宮彰子の関係にももっと注目してあげてほしい
そういう思いで、今回は「紫式部日記」の冒頭「秋のけはひ」を取り上げました。

ぜひ紫式部の中宮彰子への想いを感じ取ってみてください。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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