話を聴く力を読書で養えないだろうか(前編)
今回のお話はあまり医学的根拠に基づいたものではなく、私見がメインです。ご承知のうえお読みください。
自閉スペクトラム症やADHDなどをもつ方がよく遭遇する悩みが、『話を聞いて理解することが難しい』というものです。
最近ではAPD(聴覚情報処理障害)という名称も知られつつあるところです。
APDと、発達障害の方の聞いて理解する難しさが同じ意味かというと、なかなか悩ましいところです。
一口に『聞いて理解』と言っても、原因は様々でありすべてAPDと言ってしまうのも混乱や誤解を生みやすい気もしています。
よくAPDの原因の一つと言われるのがワーキングメモリーの弱さなのですが…。
実際には発達障害の方が聞き逃しやすい背景として、個人的には以下のようなものも絡むと考えています。
・話の全体を捉える前に、細部に注意が向きすぎてしまう
・聞いている最中に他のことに気が散ってしまう
・興味が無い話へ関心が向けづらい
・聞いた言葉を具体的なイメージや心理状態に置き変えづらい
・話の流れを予測することが難しく、聞く準備がとりづらい
他にも本当に様々ですが…そしてこれらの絡み合い方もその方によって当然変わるわけですが。
純粋な情報処理の脳神経ネットワークの障害だけでなく、こうした傾向も影響しているのではないかと考えています。
さて、ここでタイトルにある「読書」というキーワードに話を移します。
きっかけは自分自身の今日の体験です。
以前から、『話を聴くのが苦手』という方はどのような対処法が考えられるだろうかと考えていました。
もちろん、ちょっと調べれば諸々の対処法は出てくるのですが、それだけで解決しない場合が多いのも現実です。
今日の僕はカフェで本を読んでおりました。
外国の方が書かれた実用書のようなものであり、正直読みづらいです。ジョークも交え、小難しい話を分かりやすく書こうとして下さっているのは伝わるのですが何分、日本語訳の中で生じる独特の言い回しや、人物名が頭に入ってこない。
僕は読みながら、「これは僕以外の人が読んでも読みやすい本だろうか」と考えています。
読んで面白かったものはすぐ人に勧めたくなるので、こうした考えが浮かぶのは癖のようなものです。
この本については「ちょっと読みづらいかもしれない」と思いました。
理由は上記に挙げたような、洋書独特の読みづらさからです。
と、ここで僕は思いました。
僕自身、ADHDの特性がしっかりある不注意人間です。
なのに僕は読書が苦手ではなく、生意気にもこの本が他人にとって読みやすいかを考えていたりします。
また、多くの方が聴き上手だとも言って下さいます。
この違いはなんだろう…と考えていたとき、1つの仮説が浮かびました。
もちろん小さい頃からの読書習慣の有無など、発達障害の特性以外が影響している可能性はありますが、そうしたことは一旦脇に置きまして。
と、記事が長くなってきましたので続きは明日にでも書きたいと思います。
ただの私見ですので、あまり過度に期待せずお待ちください。
サポートって…素敵やん? 島田紳助さんが伝わるのっていくつぐらいの方までなんでしょうね。