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中学校の先生に息子の教科書を没収された話

※非常につまらない話です。

今朝、中学校へ向かう息子のカバンを持ち上げたところ妙に軽いので、教科書は?と聞いたところ

「先生に取られた。」

と返ってきました。

事情を聞くと、月曜日に学校に行ったら机のなかがカラになっており、それから三日間、ノートも教科書もないまま授業を受けていたそうです。

どの先生が没収したかもわからないが、なんとなく目星がついていると、言いました。

なぜそれをいままで言わなかったのか、というと、息子は先生のところへ行って謝れば教科書を返してくれることはわかっていたが、自分が謝ることではないと思ったので、頑固にも三日間教科書ノート無しの状態でいたようでした。

学校の教科書の重量についてはすでに社会問題となっていて、文科省は置き勉を認めるよう各学校に伝えています。

ただ現在、息子の中学ではまだ、置き勉は禁止という決まりのままでした。

息子の中学校ではあまりの重さに背骨が曲がってしまう生徒が出たので、去年から通学カバンがリュックになったほどですが、リュックになっても重たいものは重たいわけで、体も小さめの息子は彼なりに考えて、学校のルールではないとわかっていても、ある時期から必要ではない教科書を置いてくるようになりました。

わたしは個人的に、その息子の判断は良いと思っています。たとえ学校から与えられたものでも、そのルールがいったいなんのためにあるのかという「原因」と「目的」を考えたら、教科書を置いて帰ること自体が悪いとは思いません。

ある先生は、息子が教科書を置いて帰るのを見て注意はしたものの、自分自身は置き勉自体はありだと思う、と個人の見解を述べてくれたこともあり、やはりどちらかというと教育現場のほうが閉鎖的になり、社会に大きく後退しているのが現状だと思えます。

ルールとは何のためにあるのか、それを自力で考えることを放棄し、ただ与えられた指示にのみ従うのは、奴隷の始まりです。

息子は自分で考えて効率の良い学校生活を工夫した結果、置いて帰ったわけです。

そもそも、黙って取り上げて、それを本人に伝えることもなく、

「察して謝りに来い」

と言わんばかりのやり方は、教育とはかけ離れたサディスティックな行為です。

立場を利用した嫌がらせのことをハラスメントというのだ、という非常に基本的なことすらわかっていないのに、そんな精神でいったい子どもの何を育て育むことができるのでしょう。

息子はその理不尽さを理解していたからこそ、そんな脅しに屈したくないと、絶対に謝らないまま、教科書無しで三日間授業を受け続けていたわけです。

わたしはすぐに学校に電話しました。

担任の先生は、息子が教科書を没収され三日が経過していること、どの先生が管理しているのか、まったく知りませんでした。

「担任の先生もご存じないのに勝手にクラスの生徒の持ち物を取り上げるなんておかしいとは思いませんか?うちの息子は鈴木先生が取ったんじゃないかと言ってますが」

と伝えると、担任の先生はすぐに確認しますと電話を保留し、

「そうですね、鈴木先生が持っているそうです」

「代わっていただけますか?」

「これから会議なので、そのあとでも良いでしょうか」

「いえ、いますぐお願いします」

「わかりました、折り返しいたしますのでお待ちください」

ここで一度電話が切れました。

5分後電話に出た鈴木先生は、悪びれる様子もなく当然といった態度で

「わたしが持っています、息子さんに物の管理の仕方を指導するためです」

「物の管理の指導が本人に黙って没収することなんですか?それで何が教育できるんですか。息子は三日間、教科書もノートもないまま授業を受けていますが、それでは息子の学ぶ権利はどうなるんでしょうか。そもそも重たいというところが理由ですし、文科省も置き勉を許可する流れになっていますよね、先生はご自分の頭でなぜ置き勉がいけないのかを考えたことはありますか?」

「お母さんのおっしゃっていることは間違っていますね、そうしてお電話口で大きな声を出されてもお話しできませんので、直接学校にきてください、そうしたらお話ししましょう、4時に来れますか?」

わたしはこの瞬間に、顔があおざめるほどの怒りが沸き起こるのを感じました。

・お前の言ってることは間違いだ、と最初から決めつけて自分の正当性を強く主張し、わたしのほうに問題があると思わせる誘導

・ヒステリーな保護者、というレッテルを張ることで、さらにわたし自身に問題があるかのごとく演出している

・電話ではなく直接合わないと話さないと根拠不明の理由で呼び出し、有無を言わさず時間まで指定することで、相手から自分へと主導権を移行させる

一時期、サイコパスとか反社会性人格障害、自己愛性人格障害など、他者に大きく迷惑をかける人間に興味を抱いたことがあり、それらのブログや映画をかたっぱしから見ていた自分のなかで、この先生の受け答えはすべてそういう残酷な人間の行為行動にあてはまっているように感じました。

もちろんわたしは心理学の専門家ではありませんが、そういう情報はすべてわきに追いやったうえで、自分の生理的な感覚としても、この男は、まともに相手をしてはいけない人間だと思いました。

彼のやっていることは、教育でも何でもない、ただの挑発です。

同時に、こんな心のわからない人間に攻撃を受けて一人で耐えている息子のことを思いました。

サイコパスと呼ばれる人たちは良心の呵責もなく自分が優越感を感じるために他人が苦しむ姿が見たいだけなので、何をやったら他人が最も嫌がるかを先天的に知っているのだそうです。

少し電話で話しただけで、彼がそうだと決めつけるのは性急で過剰な判断だと思うでしょうか、たしかにそうかもしれません、しかし世の中お人好しだけではダメです、悪い人間を(悪の定義もさまざまではありますが)すぐに見抜くということをやっていかないと、結局泣き寝入りになり、何よりも自分が後悔することになるとわたしは考えています。

残念ながらこの人は、いかにして他者に優越するか、それだけを基準に生きているのだと思いました。だからこそ、指導をかさに着て息子の教科書を取り上げて三日間も平気でいられるのだと思います。

というわけでわたしはただちに気持ちを切り替えることにしました、正直に言えばどんなかたちであれご縁があったのに、この人間は話の通じる相手ではないと自分のなかで冷たい結論を出すのは本当はしたくはないことです、それは自分のなかで、その人を人間から人間以下に降格させる行為だからです。

本当は同じ目線で、心の交流をはかりたい、と思うのが自然な想いですが、しかし実際世の中にはどうにもならないほど底意地の悪い人間がいるのも事実です。

こういう相手の挑発には一切乗らないことが大事なので、わたしは今日の4時に行くとも行かないとも言わず「主人と二人で伺います」と伝え一方的に電話を切りました。

何事も目的意識が大事です。

わたしの目的は、息子の教科書を取り戻すことです。

では相手の目的はなんでしょう、他者を屈服させることが目的ならばその欲望を満たすようなことは決してしない、相手の指示には一切従わないことが大事だと思いました。なので「直接自分に会いに来い」と言ってきたこの男とは絶対に直接話さないことにしました。

冷静になると、自分のやるべきことがすぐわかるもので、次の瞬間わたしは東京都教育委員会に電話をかけていました。

まず、現状における置き勉の在り方について、教育委員会の見解を知っておこうと思いました。

教育委員会の方は丁寧に話しを聞き、何度も復唱し、ひとつひとつ確かめながら、

「置き勉禁止の流れもふまえたうえで、担任でもない別の先生が本人に伝えることもなく教科書ノートすべて没収し、それから3日間本人に返さず、教科書もノートもないまま授業を受けていることは異常事態であり、またそれを問い合わせた保護者に対して、考えがおかしいと言って一方的に呼び出す行為も問題があると言わざるを得ない」

というご感想をくださいました。

そのうえで、先生を管理始動するのは校長の責任にあるので、まずは校長にいまの話しをそのまま伝え、校長と話しをしたほうがよいとアドバイスを受けました。

そのうえでさらに解決が図れない場合は、再度区の教育委員会に連絡するようにと言われました。

教育委員会の人と状況を分析できたおかげでさらに冷静になれました、この段階まで来ると、相当頭が冴えてきたので、頭の中で何をどう伝えるべきかも組み立てられます。

再度中学校に電話をかけ、校長を呼んでもらいました。

校長はすでにある程度事情を知っているようで、当初は「まあまあ落ち着いてくださいお母さん」というような態度でしたが、わたしが教育委員会に相談したこと、またこれまでの経緯を理路整然と説明したところ、少し態度が変わって、やや真摯に聞いてくれる姿勢になりました。

「置き勉を認めるよう文科省が通達を出していることは知っています、ただ学校としても、生徒それぞれの持ち物の置き場が整っていないこともありまして、紛失などトラブルを防止するためにもいまは置き勉禁止となっています。重たいことも承知してさまざまな対策をしてきましたが、文科省から言われて現場がすぐ対応できるかというそういうわけにもいかないのが現状です」

「ご事情はわかりますが、そもそも鈴木先生は物の管理の指導という名目で息子の持ち物を没収したと言ってましたが、机の上やまわりに散らかしているならまだしも、机の中にしまってあるもののどこが問題なのでしょうか」

「やはり日常の勉強が大切なので、主要教科は持ち帰って勉強してもらうという方針です」

「ということは大切なのは勉強ですよね?息子は黙って教科書ノートを没収されたまま、どの先生が取ったのかもわからず、三日も経っています、このことのほうが勉強に支障が出るとは思いませんか?」

「たしかにそうですね」

「担任も知らない間に勝手に生徒のものを取り上げる行為はどうお考えですか。またそれを電話で問い合わせたわたしの考えがおかしいと言って都合も聞かずに時間まで指定して保護者を呼びつける鈴木先生の行為自体に校長として問題はないとお考えですか、彼はどんな権利があってそんなことをしてるんでしょうか」

「そうですね・・・先生と生徒の間で、コミュニケーションが不足していた、うまくいっていなかったという点はあったかと思います」

「(ぜんぜん的外れの解答に呆れつつ)担任の先生は知らなかったんですよね」

「じつは教科書を没収したのは副担任でして、担任との間では情報交換はあったと聞いています」

「それはおかしいですね、さきほど担任の先生は知らなかったとおっしゃってましたよ。いろいろと矛盾していますね」

校長との話は微妙にすれ違いのままでした。

それは校長自身が立場上「置き勉自体おかしい」という問題の核心をさけ、学校側の立場を保守するような言葉に終始していたからだと思います。

・生徒の個人ロッカーが無い

・教科書を置いたままでは自宅学習ができない

・物の管理、整理整頓の指導

これらはすべて独立した問題であると同時に、工夫次第で一気に解決できる問題です。

問題の原因も考えず、ただルールで禁止されているから、と強制的に没収するという行為そのものが、おそろしいほど前時代的であり、子どもの健全な教育という精神から大きく外れているのです。

「威圧的な態度では子どもは反発するだけで、反省はしませんよ、鈴木先生は他の生徒さんからも嫌われているようですね、息子が言っていました。」

「そうですか・・・」

「わたしも鈴木先生と実際にお話しして子どもの気持ちがわかりました、たしかにそんなやり方では、子供から尊敬も信頼もされませんよね、大事なことは信頼ではないでしょうか。教育は心で指導するものです、もしも同じことをされたら、大人だって嫌な思いをしますよね、心の無い教育や指導は意味が無いと思います」

「そうですね」

「明日の朝すぐに、息子に教科書を返してください」

「先生にもよく話をして、生徒との間での連絡を明確にするようにいたします」

「そんなこといまお話ししてませんよ、校長先生、明日の朝、息子のものをすべて返すと、お約束してください」

「わかりました」

「明日の朝、返してくれますね?約束していただきたいんです、今」

「はい、お約束します」

鈴木先生は人格的に問題がある、と感じたのはわたしの偏見にも等しい個人的な感想です。

しかし高確率で正しい判断のような気がしています。

そういう人間こそじつはもっとも気の毒な世界を生きているのだと思いますが、実際に多大な実害をこうむるのはそういった支配欲求の強い人間から理不尽に餌食にされる側です。

息子には「こういう人間はいなくなることはないし、これからも出会うことはたくさんある」と伝えました。

こういう人間が自ら反省することはほとんど期待できません。

だから出会ったときに、どう対応するか、それだけです。

その人を変えようとか、その人のしたことを思い知らせようとか、そういうことはすべて無駄に終わります。

自らを省みる心がカケラでもある人間は、こうはならないからです。

そういえば昨日、去年自分のアパートで11人を殺した犯人を取材した番組をやっていました。

彼はニコニコと笑いながら、記者の質問に「その質問は有料ですね」と冗談みたいに話していました。

自分の恐ろしい行為を認めるどころか、取材に応じて情報を提供する代わりに金品を要求している、どこまでも止まらない欲望。

悪人の特徴とは、自分の非を決して認めないことです。

鈴木先生は絶対に自分のしたことがまちがっているとは思わないし、反省しないでしょう。

それはそういう人間にもっとも期待してはならないことなのです、それよりも、相手が良心を持たないならば、その相手の最も嫌がる方法で(今回であれば本人を無視してより権力を持つ人間と交渉する)解決を図り、物理的に遠ざけることしか、こちらができることはありません。

息子には、負けずに生きていってほしいです。

そのためには親が手本を見せるしかないわけですが、それにしても本当に、こういう種類の人間と関わるのは大変なパワーを使います。

でも、それを面倒がってたら、世界は変わりません。

目の前のおかしいことを、逃さずに向き合う、それを地道にひとりひとりがやっていくしかないと、思いました。

#日記 #エッセイ #教育 #パワハラ #中学校 #置き勉 #サイコパス

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