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一生ボロアパートでよかった⑨

あらすじ
自慢だった新築の白い家が、ゴミ屋敷に変貌していく。父はアル中になり、母は蒸発し、私は孤独になった。
ーーー1人の女性が過去を振り返っていく。

 "親ガチャ"って、便利な言葉ですよね。自分の人生の不運を憐れむのに、使い勝手が良い。

 両親の経済力や性格、相性なんかを槍玉にあげて、不運の責任を押し付けるのに丁度いい言葉だと思います。
 もしくは、神様とか運命とか、そんな目に見えないフワフワしたものを悪者にして、"はずれ"を引かされた自分は可哀想な被害者なんだって、思わせてくれる言葉ですよね。

 私も中学生になってから、なんで自分だけこんなに不幸なんだろうって思うようになりました。そして、自分のことを可哀想だと思うようになりました。当時こそ"親ガチャ"のような便利な言葉はありませんでしたが、私も漠然と「"はずれ"を引いたんだな」って感覚を持っていました。

 中学2年生になると、アオイちゃんとクラスが分かれて、私は孤立するようになりました。今までは、優等生のアオイちゃんと仲良しというだけでみんなの輪に入れたのに、途端にクラスで浮いた存在になったのです。

 部活に所属せず、流行りにも疎かった私は、クラスメイトと会話を弾ませるような話題を持っていませんでした。昔話に花を咲かせるくらいはできても、みんなは今頑張っている部活のことや、流行りのテレビや漫画の話を好んでするのです。私は、クラスメイトと会話をすることに困難を覚えるようになりました。
 中学生の女子グループは、一度メンバーが固定化されると強固に結束し、余所者を受け付けなくなります。夏入り前には、どのグループにも入れなくなりました。私が今までみんなと仲良くできていたのは、優等生で空気を読むのが上手なアオイちゃんが一緒にいたからなんだと悟りました。そしてようやく、自分の存在価値の無さを認識しました。私はどうやら金魚のフン程度の存在だったのです。フンは金魚から離れたら、水槽の底へ沈んでいくしかありません。フンは自力では泳げませんから。

 授業にもついていけなくなりました。不幸な私は塾にもいけないし、勉強机すら買ってもらえませんでした。勉強を教えてくれる友達もいないし、ノートを貸し借りする相手さえいませんでした。宿題を忘れて、慌てて友達に見せてもらうなんてことも出来ませんでしたから、先生に叱られることも時々ありました。
 中2の後期には、ノートが隠されて、誰も使っていないロッカーから出てくるようになりました。隣のクラスの子に貸した教科書の裏には小さく馬鹿って書かれていました。成績は落ちていく一方で、私の学習意欲をさらに削いでいきました。
 その反面、アオイちゃんは別のクラスで、キラキラした学生生活を送っているようでした。

 私が不幸なのは、両親のせいだと思うようになりました。生まれた家庭が悪いせいでこんな事になっているんだと思いました。そう思うことで、現実から目を背け続けていました。私の不幸の原因を、私がしない努力のせいにはしたくありませんでした。

 今思えば、もっと勉強しておけばよかったです。そしたらこの先の未来は、もっと違っていたのかもしれません。私はまだ子供でした。今ここでしない努力が、未来の自分をさらに苦しめることになるなんて、考えなかったのです。
 いや、考えられなかったのです。だって、そういう人生の反省を諭してくれる大人が、周囲にいませんでしたから。普通、そういう役割を両親が担ってくれるのでしょうけど、私は"はずれ"を引いていましたから、どうしようもなかったのです。そうやって、今も誰かのせいにしないと生きていけないのです。ずっと被害者ヅラしていたいのです。こんなしんどいだけの人生に、私は自分で責任なんて持ちたくないのです。

 まあ、ともかく、何が言いたいかというと、人生に"当たり""はずれ"が存在する時点で、この世はクソってことです。

つづく

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