一生ボロアパートでよかった①〜⑩まとめ
① 私が幼稚園の年長になった頃、両親は家を買いました。新築の白い家です。よくある40坪程度の分譲住宅の一つでしたが、私にとって自慢の家でした。それ以前はボロアパートに住んでいました。ボロアパート時代の父は毎日きちんと仕事に行って、休みの日は家族サービスもする"良い父親"でした。母も私にとって"自慢の母親"で、よく美人と褒められました。両親は新築の家に引っ越してから兄弟のいない私に犬を買ってくれました。白いフワフワの毛をしたマルチーズで、ハナと名付けました。ハナは私が小学4年生の春に突然いなくなりました。母に「ハナはもういないから」と言われたのを覚えています。その頃から自慢の新築の白い家が散らかるようになり、両親もよく喧嘩するようになりました。
② ハナがいなくなってから母はスーパーのレジ打ちの仕事を始めて、朝から晩まで働くようになりました。どうやら他にも仕事もしていたようでしたが、なんの仕事だったのかはわかりません。たまに派手な服を着ていた記憶があります。一方で、父が帰宅する時間は早くなりました。せっかくお酒を飲む時間が増えたのに、父は陽気になることもなくだんまりとテレビを見ていました。
ある日友達のマナちゃんとアオイちゃんが我が家に遊びにきました。家に入るなりアオイちゃんに「なんか臭いね」と言われました。それで最近誰も家の掃除をしていないことに気がつきました。ゴミもずいぶんと蓄積していました。父と母は相変わらず喧嘩が絶えませんでした。私はそんな我が家を窮屈に感じるようになり、自分の居場所を作らなくてはならないと感じ始めました。私は両親に「自分の部屋が欲しい」と言いました。そして2階の物置部屋を私の部屋にしてもらえることになりました。
③ 仕事終わりの不機嫌な母と物置部屋の掃除をしました。物置部屋はダンボールや使っていない家電、私が幼少期に使っていたベビーチェアや絵本、オモチャ箱、幼稚園の発表会で着たてんとう虫役の衣装などが置かれていました。隅には埃が溜まっていて"都合のいい時にだけ存在する部屋"という感じでした。掃除が終わって最後に、母が「これ捨てて良いわよね」と私の幼少期の思い出たちを指差しました。そうして"都合のいい時にだけ存在する部屋"は、晴れて私のものになりました。
④ 省略
⑤ 物置部屋掃除の後、私は母の部屋で寝ました。母と一緒に寝られるのもこれで最後だろうと思いました。寂しさもあって、自然と母の背中にくっ付いて寝ました。でも私が大好きだった優しい母の香りはしませんでした。香水の香りが臭くて、あまり眠れませんでした。その翌日には、私のベビーチェアなどの幼少期の思い出たちは玄関前の廊下に並ぶ"ゴミコレクション"に加えられていました。ちょうどその頃、父がたまに怒鳴るような怒り方をするようになっていたので、気味が悪いような恐怖心を懐くようになっていました。
⑥ 物置部屋掃除の翌日、私は1人で部屋の床掃除をしました。床掃除をしながら父方の祖母のことを思い出していました。群馬の田舎生まれの祖母は気が強い人で、掃除の仕方にこだわりがありました。祖母は祖父が亡くなってから気弱になり、私達との同居を望むようになりました。しかし母の断固たる拒否により同居には至りませんでした。祖母は祖父が乗っていた軽トラに乗って、舗装もろくにされていない群馬の田舎道をノロノロと走りながら今も1人で暮らしていました。昔祖母が良かれと思って私達一家に押し付けようとしていた掃除の作法は、結局なんの役にも立っていませんでした。ゴミが溜まっていくばかりの我が家が、それを証明していました。
⑦ 学校ではアオイちゃんにもマナちゃんにも、自分の部屋を手に入れた事は話しませんでした。もう友達は我が家には呼ばないと、心に決めていました。自分の家に招く事ができない分、友達の家に遊びに行く機会は増えました。私から見たら、マナちゃんもアオイちゃんも家庭環境に恵まれていました。私はそういう生まれや育ちのいい人を妬ましく思いました。だって幸せであるはずなのに、わざわざ自分の不幸を見つけて不幸ぶってる様が、非常に腹が立つんです。
⑧ マナちゃんは小学校卒業と同時に引っ越していきました。マナちゃんが実は中学受験をしていたなんて知りませんでした。アオイちゃんも中学受験も考えていたそうですが、やめたそうです。マナちゃんと私がいるから、中学は3人同じ学校で、と思っていたそうです。それなのにマナちゃんはちゃっかり中学受験をして、東京に行ってしまいました。アオイちゃんはしばらくマナちゃんの悪口ばかり言っていました。"抜け駆けされた"みたいなことばかり。私からしたら、アオイちゃんもマナちゃんもずっとずっと"抜け駆け"していました。だって、私はもう生まれた時から、"親ガチャ"にはずれていましたから。
⑨当時こそ"親ガチャ"のような便利な言葉はありませんでしたが、私も漠然と「はずれを引いたんだな」という感覚を持っていました。中学2年生になるとアオイちゃんとクラスが分かれて、私は孤立するようになりました。それまでは優等生のアオイちゃんと仲良しというだけでみんなの輪に入れたのに、途端にクラスで浮いた存在になりました。私がこんな目にあうのは、両親のせいだと思うようになりました。生まれた家庭が悪いせいでこんな事になっているんだと思いました。私の不幸の原因を、私がしない努力のせいにはしたくありませんでした。全ては"親ガチャ"にはずれたせいだと思うことにしました。
⑩中2の学年末テストが始まる前に、私は不登校になりました。私が不登校になった初日、無断で欠席してしまったので、父が急いで仕事から帰ってきました。リビングのゴミの谷の間から茶色い肌の父が現れたので「デカいゴキブリみたいだな」と思いました。父はサラリーマンをしていたはずなのに、なぜかその時工事現場のオジサンのような風貌をしていました。父と話をした後自分の部屋に戻ると、1匹のゴキブリがいました。私は布団にくるまりながら、ゴキブリがカサカサと這う様子をしばらく眺めていました。そしてその日、父のことを「デカいゴキブリみたいだな」と思ったのを思い出しました。母曰く私の顔はそんな父に似ているらしいのです。私はカバンからガサガサと鏡を取り出して、自分の顔を確認しました。やっぱり断然父似だなと思いました。なるほど、こんなゴミだらけの家に住んでいるんだから私もゴキブリみたいなものか、と妙に納得しました。ゴキブリは1匹いれば100匹いるって言うし、この家はゴキブリだらけだなって思いました。
つづく
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