上海 横光利一
近年、SNSが発展し文章力がない者が無造作に自分の意見を水洗便所に流すかの如く投稿している。
読み手はそれを見て、ポエマーと小馬鹿にしている。
もし、小馬鹿にされたくないのであれば長文を投稿しなければいいだけなのだが、私はこのダラダラ長い文章を投稿してしまった。
先に謝っておきたい。これはただの自慰行為だ。相手など考える必要など存在しない。なぜなら私の自己満足だからである。
26年間、本と無縁の生活をしてきた。いや、それは違う。週刊少年ジャンプとポルノ雑誌は大好きだった。ジャンプを見て、学校で感想を言い合った。ポルノ雑誌に至っては、感想を述べる前に果てていた。
私は、活字のみの本が大嫌いだった。この文章を見てる人は思い出して欲しい。小学生の頃、いくつかの課題図書の中から一つを選び、感想を作文用紙に書いて提出しなければならない課題があったはずだ。私にとって拷問であり、レイチャールズだったらよかったのにと強く想ったものだ。
しかし、最近になって小説が好きになり、読んだ本の感想を語りたくなった。誰にも語る相手がいないので、下記に記載する。あくまで一個人のポエムである。
横光利一作の上海、1925年に上海で起こった530事件を題材にした小説だ。この本は、母の卒業論文のテーマだった。
美女、矛盾、格差、退廃、思想、美食、残虐・・・これは筆者の上海での体験を元に書かれていてるらしく、読者は読み進めていくうち、当時の魔都の強烈な匂いを体験するだろう。
当時の上海は、幾つもの国が分け合っていた。欧米列強、中国そして日本。横光利一は、そこで自分の住む東洋の惨めさを知ってしまったらしい。欧米人へのコンプレックス、上海に住んで生まれた愛国心、美女に対する異常なまでの執着心、筆者の気持ちが詰まった芸術文学だ。この小説を読むと、上海の歴史的な浪漫を感じられて楽しめた。
ただ私は、この小説を初心者にオススメしない。理由は2つ、1つ目は筆者の主義主張が強いからである。ノンポリのボンクラである私からしたら、政治の話をされると頭をノコギリで少しずつ切っていくような苦痛を感じるからだ。2つ目に文章がとてつもなく難しい。戦前の一般庶民は、この小説を難なく楽しめていたのだろう。こんな文章を軽く読めるほど頭脳明晰であった日本国民だったのにも関わらず、アメリカと無謀な戦争をしたことに尚更驚きを隠せない。
しかし、小説初心者でも歴史好きには自信を持って推奨したい。歴史は、善悪関わらず必ず繰り返す運命にある。映画ジョーカーで描かれた混沌とした社会はこの小説に書かれている上海と全く同じだ。今、私が住む北九州にもジョーカーが存在する。この街も混沌としているのだろう。
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