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サンデイ記

三時を過ぎたあたりから自宅周辺をぶらつく。好さげな喫茶店を見つけた。何がとは言わぬが可能店を銘打っていたゆえ、同志らの団欒に加わらんくらいの、言わば勇み足を踏んで入店す。

冷珈琲が美味しい。その味と居心地の好さと、それから世間話やら痴話雑話やらが、片方の耳からもう片方へ抜けていくあの感覚一一 前居近くの、足繁く通った喫茶によく似ている。六〇年代洋楽と、ブロンドにメガネの一一  彼女は何時も決まって隅の席で、資格な何かの冊子を開いていた。

前の日に読んでいた『牛頭天王と蘇民将来伝説』は一旦休憩として、泉鏡花の短編を幾つか読む。そうそう、その『牛頭天王一』なのだが、これがなかなか面白い。コタン将来一族が何故に虐殺されたのか、という長年の、いや一年にも満たないのだが、そんな疑問への答えもありつつ。こりや好い。余裕があるときに読み進めやう。

泉鏡花は上記書籍より『夜行巡査/琵琶伝/海城発電/化銀杏』を。男女ふたりの因果、そこに社会性のエツセンスを多分に振り掛けた逸品。辿った先はおどろおどろしい死の滝壷。これらの初期作、鏡花文学の原型なれど、その情念の純粋性の表現、後年比じゃと直球的とみえる。

 「はい。私に、私に、節操を守らねばなりませんといふ、そんな、義理はございませんから、出来さえすれば破ります!」
 恐気もなく言放てる、片頬に微笑を含みたり。
 尉官は直ちに頷きぬ。胸中予めこの算ありけむ、熱の極は冷となりて、ものいひもいと静に、
 「応、きつと節操を守らせるぞ。」
 渠は唇頭に嘲笑したりき。

『琵琶伝』より

鏡花の女性への眼差しもまた興味深い。殊に『化銀杏』はその傾向が顕著であろう。ウーマン・リブに通ずると言うより"正に"と形容するのが適しているほど。その下地があるからこそ斜め上の展開も映える映える。残りの『凱旋祭』を読み終えれば手持ちの鏡花は尽きるゆえ、棚に眠る『日本文学研究大成』の当該書にもようやくの出番がやって来る見込みだ。

ぷかぷかしながら読んでおれば自ずと閉店時間もやって来るもので、浮浪ののち居場所を見付けるに至る。珈琲を、という気分であったが、クラフトのビアが視界に入ってしまってはしようがない。それにしても赴く場所々々が悉く"当たり"である。我が版図の拡大が甚だしい。其方の働き褒めて遣わそう。誠骨折りであつた。

等の供述をしておりましたところ、帰宅後自宅キツチンにて当月二度目の舌禍事件に遭遇いたしまして。翌日二〇時現在無事でござる。熱を通したのちの味見、気を付けねば(自戒)

夜は『8 1/2』を完走。いやはや白黒ながら映像美は勿論のこと、何よりも階層の変幻とその連なりが圧巻。創作の偽り、虚構をも呑み込む、文字通りの怪作である。今風の嫌らしい言い方にはなろうが、これは良い意味で"えげつない"。これまた余裕のあるときに見返さなければ...(そればかりじゃが本当に見返すんか?)

こんな日々しか過ごしていないから、とりとめることこそ野暮であろう。

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