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とりとめなき57
きのうのこと。昨夏に鳴子で出会ったお二人が、今度は京都に泊まるということでお声が掛かった。普段は行くことのない、職場近くの居酒屋で合流。前回は二時前まで、それも温泉宿の一室で呑んでいたものだから、当然ながら会話の殆どを覚えておらん。ゆえに話し出して最初の三○分ほどは、会話の断片∕﹨が記憶を掠めるような、妙な愉しさがあった。あの夜、灰皿に盛り上がった小山が物凄かったのはいい思い出だ。
親父さんのほうの娘さんは私と同じ歳で、芸大の大学院に通っているらしい。個展がどうの仰っていたから、機会があれば足を運んでみたいものだ。そう、パトリシア・ハイスミスを熱烈に推された。やたらと推された。それが頭にへばりついたせいか、今日は読書に(煙草を喫みに)出掛けたが、なにやら文字が意味への受肉を果たさない。カタツムリ、カタツムリ。
結局、一日で書店を四つ回ったが、何処にも見当たらん。これでは私が『パトリシア・ハイスミスに恋して』いるようなものではないか。なんでもいいから映画が観たくなって、アップリンクで『劇場版 再会長江』なるドキュメンタリーを。映像が綺麗だったのは勿論、出会い別れの先にある、言わば人々の縁が描かれるのが好い。
孤帆の遠影碧空へに尽き
唯だ見る長江の天際に流るるを
本作によって、小学生時に読んだ三国志〈燃える長江〉以来初めて、長江に対するイメージの更新がなされたのであった。李白の〈黄鶴楼─〉も理解ができるというものだ。最初の一滴、それはそれは美しく。