<メルマ旬報>『朗読劇 銀河鉄道の夜』郡山市安積高校(安積歴史博物館)公演
『ザ・レディオ・ミルキー・ウェイ ラジオ朗読劇『銀河鉄道の夜』舞台版』 新地町文化交流センター(観海ホール)を2023年8月1日と2日に鑑賞した。
その際に今まで見た「朗読劇『銀河鉄道の夜』」についてまとめてみたが、2013年12月8日(日) に福島県郡山市の安積歴史博物館で行われた「朗読劇「銀河鉄道の夜」冬の公演」については当時『水道橋博士のメルマ旬報』で連載していた「碇のむきだし」で書いていたが、メルマガも終了してしまい、他のブログにも転載していなかった。今回原稿を掘り出してここに転載してみる。ただ、当時連載で書いていた小説の中にこの公演に行ったことを組み込んでいるため、前後の文脈がなく違和感があるかもしれない。
書いている作品の登場人物たちに当時の僕が観たり聴いたりした作品を擬似体験させて、作分の中に組み込むという非常に高度なことをしようとしていて、たぶん失敗している。だけど、「朗読劇」を観にいった時のリアルタイムで感じたものをエッセイやブログではない形で書き残したかったのだと思う。
『水道橋博士のメルマ旬報』2013年12月25日配信 連載「碇のむきだし」
僕は見知らぬ土地を歩いていた。その頃、美羽さんは風邪で寝込んでいた。兄さんはたぶん仕事をしていた。渋谷駅から大宮まで湘南新宿ラインに乗り、新幹線やまびこに乗って二時間に満たないぐらいで郡山までやってきた。名前とかを知っていてもその距離感だとか実感みたいなものは体感するとよりはっきりする。
駅前商店街でみそラーメンを食べた。一人で食べていると五十過ぎぐらいの夫婦がやってきて店主やその奥さんに声をかけていた。常連さんなのだろう、客の夫よりも妻の方が店主に話かけていた。そのイントネーションは福島弁だった。おおまかに言えばその中でも地域ごとで色もあるだろうけど僕にはそれは福島弁だなということしかわからなかった。もう一人、五十過ぎぐらいの女性が入ってくると妻の方が「○○ちゃん」と声をかけて三人で並んで話しだした。懐かしい再会だったらしい。震災の事なんかを話していた。僕は意識をあまり向けないようにしてラーメンをすすった。興味はあるが聞き耳を立てるべきではないと思った。
土地固有の方言やイントネーションを聞くと違う場所に来たんだなと強く思う。気候や風土、文化が大きく起因している言葉。僕がこれから向かおうとしている場所では僕が異邦人であり彼らが標準であると感じさせる割合になっているはずだった。食べ終わってスマフォで目的地までのルートを見る。歩けば一時間もかからないだろう。
商店街から大通りに出ようとすると右のずっと先の店の前に猫が見えた。僕は何気ない感じで歩いていく。商店街にいる猫なら多少は人間に慣れているはずだと予想して。近づくと白メインで多少ガラが入った猫は店と店の隙間に入って安全を確保して強い目で僕を見ていた。さらに奥の方には仔猫が一匹いて猛ダッシュして走っていった。母猫もスマフォで写真を撮ろうとしていると奥に逃げていった。
奥州街道に出て陸橋の階段を上っていく。右手の空は寒空で曇っていた。どことなく雨が降りそうな気配がしていた。左手の空は大きな雲の向こうから太陽が差していてそちら側の体は暖かく感じられた。左右の空の違いは雨が降りながら日も照るような狐の嫁入りみたいな事になるのかな、なんて僕に思わせた。
晴天と曇天の境目を僕はマップアプリを頼りに歩いていった。
マップアプリの示す方に歩いて行く。日曜日のお昼過ぎで大通りには車が多く走っていたが、細い路地に入ると人気はなくなった。たまに自転車に乗った人が通りすぎたりしたけど歩いている人はほとんど見かけなかった。看板の寂れた印刷店や交差点にある大きなラーメン屋とか知らないはずの土地はなにか懐かしさを感じさせた。地方によくある光景なのかもしれない。僕の地元は郡山のように大きな都市ではないが戦後日本が辿った流れの痕の景色にひょっとしたら懐かしいと感じられるものがあるのかもしれない。
はやま通りに入ると目的地まではほとんどこの道を直線であるいて途中で左に折れてまた左にまっすぐ行くと行ける事がわかったのでスマフォで安積高校とググる。最初はなんと読むのかわからなかったので安いに積読と打っていらない「い」と「読」を消して高校と打った。Wikiには正式名称「福島県立安積高等学校」と出て「あさか」と読む事がわかった。通称は安校、あんこうらしい。
2001年より男女共学化に従い制服が廃止されたとのこと。以前は男子校だった。目的地でもある安積歴史博物館は旧福島尋常中学校は1977年に重要文化財に指定された。東日本大震災で内部の漆喰壁が多量に崩れ落ちたために休館中だったが十月に仮オープンが始まった。
著名な出身者にはこのはやま通り沿いにある「こおりやま文学の森資料館」近くに「久米正雄記念館」というのがあって、その久米正雄という人もいた。僕がこれから観に行く『朗読劇 銀河鉄道の夜』を上演する小説家の古川日出男さんの名前ももちろんあり、母校がある郡山で震災後に休館していた安積歴史博物館で無料で行なう公演でもあった。古川さんの数行したには『トップランナー』でも司会をしていたクリエイティブディレクターの箭内道彦さんの名前もあった。それで合点がひとついった事があった。
古川さんの最新刊である『小説のデーモンたち』という私小説でもあり創作論でもある作品の帯に箭内さんのコメントがあった。箭内さんは古川さんの高校の先輩という繋がりがあったんだ。箭内さんは同じ福島出身のサンボマスターの山口隆さんとTHE BACK HORNの松田晋二さんとTOKYO NO.1 SOUL SETの渡辺俊美さんとバンド「猪苗代湖ズ」を組んでいて2011年にNHK紅白歌合戦に出場している。
僕が最近、箭内さんを意識したのはこの「シブカル祭。2013 フレフレ!全力女子!編」の画像だった。すごくいいなと思ったらクリエイティブディレクターは箭内さんだった。
「世界がつまんないのは君のせいだよ。」ってまさしくその通りだと僕も思っていることだった。
面白いことないかなとか言ってるなら自分が面白いと思ってる人や所にいくしかない。そこで受け入れてもらえるかはわからないし辿り着けるかはわかんないけどそうやって自分が動かなきゃ面白くなんてならないから。
僕らなんか面白いわけないんだから面白そうな人や場所みたいな花に吸い寄せられるミツバチみたいに動き廻って受粉を無意識に手伝ったりするかもしんないけど面白い人や場所はいくらでもあるし、たいていそういう人や場所は繋がっている、だから僕は今こうやって郡山を歩いているんだ。
目的地である安積高校についたが開場時間の14時半までは三十分以上もあったからそのまま大通り沿いを歩いて時間を潰そうと思った。コンビニでドリンクを買ってずっとまっすぐ歩いていた。朗読劇を観るのは初めてだからワクワクしていたし好きな作家さんの母校に来るとは思っていなかったから不思議な気持ちではあった。本来は美羽さんが来る予定だったのだ。新幹線のチケットも取っていたけど風邪でダウンして代わりに見届けてきてとお願いされた。僕もそう言われて断る理由はなかった。トイレに行きたくなったらコンビニやスーパーのを借りればよかった。インナーイヤフォンから流れる音楽に合わせて歩を進めた。左側は陽が差しているのに右側はやはり灰色の雲に覆われていた。
目の前をなにか白いものがひらひらと通り過ぎっていった。まさかと思って空を見上げた。かすかに、ほんのわずかだが白いものが舞っていた。今年の冬になって初めて僕が見る雪が降ってきた。それなのに陽が差していてこの大通りを境にして世界が割れているみたいだった。本当にわずかな白い雪が舞っている。スマフォで撮ろうと思ったが撮りようがなかった。電線と太陽を代わりに撮ってみた。僕はその時、古川さんが震災後に出した『馬たちよ、それでも光は無垢で』という作品のタイトルを思いだしていた。
もしかしたら朗読劇を観ている間に雪が舞って世界が白に染まったりするのだろうかと思いながら来た道を戻って高校を目指した。
安積歴史博物館に入ると袋を渡されて靴を入れてスリッパを履いた。予約していたので名前をいうと整理番号をもらった。関連書籍の販売もしていたがすでに多くの人が館内にはいた。歴史もののドラマで見るような建物だなと思った。なぜか『はいからさんが通る』だなと脳裏に浮かんだ。生まれてない頃のだから懐かしのドラマ特集で見たのかもしれない。
木造の建物で壁は漆喰なのだろう白色だった。床の木は年期を感じさせる光沢があった。色んな人が歩いていった跡だなと思った。多くの人生がここを経てそれぞれの人生を進んだに違いない。一瞬、いろんな通りすぎていった人たちの残像が見えたように感じられたのはたぶんこういう歴史のある建物には時間が宿って堆積しているということなんだろう。
建物は二階建てで二階の大広間みたいな部屋で公演が行なわれるみたいだった。
整理番号順で開場して部屋の中に入っていった。かなり大きな部屋でここも白が基調となっていた。部屋の真ん中にはマイクや機材、スピーカーなんかが置かれていてその左右にパイプイスが置かれていた。最終的には四百人近くの観客がつめかけてこの『朗読劇 銀河鉄道の夜』を観賞することになった。両親に連れてこられたであろう小学生の子供から中学生や高校生の子供、僕のように東京から来た客に、古川さんと同年代の方々、お年寄りまでと年齢層も多様だった。
なんとなく置かれている置かれている四本のマイクの位置から古川さんがメインに使うであろう場所の正面にあたる二列目の席に座った。次第にお客さんが集まりだしてパイプイスが埋まっていく。いろんな声が聞こえてくる。ほとんどは当然ながら福島弁で古川さんの事を昔から知っているであろう人たちの声も聞こえている。
東京に行って小説家になった古川さんは、呼ばれる時は古川さんっていうのが当たり前になったけど震災があってこっちに帰ってくることが多くなってくると郡山にいた時の日出男に戻れたような気がすると言われていた。
ここには古川日出男という作家として知られる前の<日出男>として知っている人がたくさんいる場所なのだと僕にもわかった。人は場所によって人生の時間によって呼ばれる固有名詞も変化していき、呼び名は関係性や場所によって決まる。
当然だ。僕だって大沢家がある地元では大沢とはほぼ呼ばれなかった。ずっと海斗だった。親しくなれば下の名前でも呼ばれるようになる。でも、ある土地を離れると人はまた違う関係性の中で生活していくから呼ばれ方が異なる。
そう考えると不思議だ。
出演者の一人であるミュージシャンの小島ケイタニーラブさんが出てきてギターで場をあっためますと歌を歌いながら他の出演者の紹介も兼ねるというオープニングが始まる。
自己紹介代わりにと小島ケイタニーラブさんが歌を歌えば、次に呼ばれた詩人の菅啓次郎さんは自分の詩を詠んだ。三人目は翻訳家の柴田元幸さんで翻訳家は他人のふんどしで飯を食べてますからと場内を笑わせてから宮沢賢治『雨ニモマケズ』を英語で朗読する。最後は古川日出男さんが紹介されて自分の小説を朗読して出演者が全員登場して『朗読劇 銀河鉄道の夜』が始まった。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を元に古川さんが設定や台詞を活かしながら朗読劇として再構築した作品。小説家も音楽家も詩人も翻訳家もそれぞれに登場するが役を演じたりしながら物語は銀河ステーションから始まる。
<日出男>に戻れた古川さんは物語の中で標準語から福島弁で語り出す。左右に分かれた客席を挟んだ演者のいる場所が銀河鉄道の空間として機能している。大きな窓の外は次第に日が暮れていって、雪は降っていなかったが夜が忍び込んできていた。その窓から見える景色のグラデーションと朗読劇の雰囲気はマッチしていてこれは「時間」を描いているのだと見ながら感じていた。斜め前の父親に連れてこられてただろう小学低学年ぐらいの男の子はうとうとしていて次第に眠りの側にいってしまっていた。この物語が眠りを誘うというよりもここではない銀河の空間にいざなっている。それも大部分が声によるものでだった。人は声によって違う世界を体感することができる。
銀河鉄道に乗った僕らは時間を体感しながら異なる世界とこの現実の狭間を行き来していた。終わった頃には窓の外は夜になっていた。館内は暖かく観客はすぐにこちら側に戻って来れないような感じになっていた。だけど、僕はどこかで初めての東北の夜に親しみを覚えた。
終わってからこの『朗読劇 銀河鉄道の夜』の脚本決定稿の書籍化した『ミグラード』を買って出演者の方々にサインをしてもらった。僕は古川さんに新幹線の中で『小説のデーモンたち』を読んでいて郡山に着く頃に菅さんからこれをやらないかと言われた辺りだったんですよと伝えると現実とシンクロしてるんだね。これ小説を書こうと思ってる人にはわりとつらい本かもしれないよと言われた。
僕は安積高校を後にしてまた歩きながら郡山駅に向かった。なんだかバスを使って帰ろうという気がしなかった。歩きながら興奮を沈めたいという気持ちともう少しこの町にいたかったのかもしれない。また、スマフォを見ながら歩く、なんだか僕が移動しているのか世界が移動しているのどちらなんだろうと思えてくる。知らない町の夜、ロードサイドを歩いているのは僕ぐらい、三人の中学生ぐらいが自転車に乗って通りすぎていった。僕の横をスッと走っていく車は僕と断絶されているようで実はそうとも限らない。さっきまでいた安積高校出身者だって乗っているだろう。そう思えた。
朗読劇「銀河鉄道の夜」ショートドキュメント
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