デジタル教科書をフォローする活動も一緒に考えよう!(デジタル教科書「2分の1」制限撤廃へ 産経新聞12月21日)
随分前のことだが、デジタル教科書についてTV取材を受けたことがあった。その時、学びは人と人の間にあるものだから、デジタル教科書
だけで完結してしまわないようにした方が良いということをコメントしたのだが、その部分は全く使われずに、余談のように言ったデジタル教科書は、面白い!的な発言が使われてしまった。
デジタル教科書は、面白いと感じる部分があるから、子どもたちも当初は面白がって積極的に使うだろうし、何か調べ物をする際も、簡単に
調べられるから、受け入れることも簡単だろう。しかし、この利便性がマイナスになってしまう可能性を私は思うのだ。
調べることが簡単にできてしまうことで、本当の意味で調べる行為を学ぶだろうか?ということだ。物事に興味を持ち、疑問をもって、その
対象について調べる時、そこに想像力を働かせて、または目星をつけて、何を調べたらよいか、どうしたら調べられるか、何を調べれば自分の求めるものはあるのか考える、そういう経験を奪ってしまうのではないかという危惧を私は持っているのだ。
学びは、人と人の間に、人と物の間にあるものだ。だから、その間を埋める行為を必死に学習者がしなければ、本当に調べたことにはならな
いのではないか。簡単に手に入ってしまうものは、自分の身にならないのではないか。そう思うのだ。デジタル教科書を解禁にするのなら、それに伴う教育的活動のフォローを考えるべきではないか。デジタル教科書で完結するような学習にしないように、自分の頭と体を使って学ぶような、そのようなプロセスを用意することが必要ではないかと思うのだが、皆さんは、どう思うだろうか。
【教育記事から教育を考える】
2020年12月25日(金) VOL.694
作者:中土井鉄信
(教育コンサルタント、合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)