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教育機関専門コンサルティング企業です。すべての人のセルフ・エスティーム(自己重要感)を高めることが使命です。

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形式的な平等と実質的な平等をどう実現していくのか(医学部合格率、初めて男女逆転 昨年の入試 文科省調査 朝日新聞 2月20日)

全国に81ある国公私立大の医学部医学科の2021年度入試(21年春の入学者を選抜する試験)で、女性の合格率が13・60%となり、男性を0・09ポイント上回ったことが、文部科学省の調査で分かった。データのある13年度以降で、女性の合格率が男性を上回ったのは初めて。女性の方が男性よりも合格率が低い大学の割合も初めて半数を切った。 2018年に話題になった医学部の男女差別による合格率の問題が、2021年度入試で合格率が逆転し、女子の合格率が高くなった。まあ、これで男女ほぼ同じにな

    • やりたいことではなく、「やらなくてはならないこと」を好きになるまでやるということ。

      幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。(ジェームス・バリー) 最近の日本は、非常にインチキな風潮に満ちている。若者を馬鹿にしてしまうような考えに満ちている。例えば、「自分の好きなことをやれ!」とか「効率的に学んで最大の効果を得よう!」とか「自分に最適な学びをすればよい!」とか。自分都合を良しとしてしまう、教えや考えが、横行している。また、それを言う大人も、無責任極まりなく、自分はそんなことを最初からやっていたわけではなく、あ

      • 失敗した後に学びの質が現れる

        自分の思うようにいかないことが、人生にはいっぱいある。その度に、酷く傷つく。なぜ、うまくいかないのだろうか。自分には、自分の意志で何かをやる資格がないのだろうか。そういう疑問とともに、自分の存在を否定してしまうようなときがある。 だから、私たちは、基本的に失敗するリスクを冒さない。失敗する状況を見ないようにする。しかし、それでは先には進めない。失敗を受け止め、失敗の原因を冷静に見つめ、その原因を次に生かしていかなければ、私たちの成長はないからだ。 目の前にある壁に積極的に

        • 変化の激しい時代に、どう適応していくのか。

          生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。(ダーウィン) 変化の激しい時代に、どう適応していくのか。ここが現代に生きるすべての人間に問われていることだ。個人だけではない。会社だけでもない。社会全体が問われているのだ。 例えば、環境問題もその一つだ。今から50年前には、地球が、自然が、破壊されるのではないかと不安視された。公害問題、森林破壊、人口爆発、核戦争、実に様々なことが、人間の愚行によって起こり、地球は滅亡

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          人間の目は、失敗して初めて開くものだ。(チェーホフ)

          私たちは、無意識のうちに、世界とはこういうものだと思ってしまっている。誰に教えられたわけでもないのに、世界に対する接した方が決まってしまっている。しかし、その見方は、自然と形成されたので、自分にとってプラスになるかならないかは、全く人によって違う。つまり、世界についての見方が意識的に鍛えられていないのだ。 だから、自分よがりな決断や思いやものの見方をしてしまうのだが、大きな失敗を経ると、この世界に対する見方が更新していく。特に、命に関わる失敗、経営上の破綻問題などの失敗を経

          人間の目は、失敗して初めて開くものだ。(チェーホフ)

          自分自身が間違ったと受け入れた段階から、意識的に自分自身を再構成しようとさせるのだ。

          その昔、文化人類学者のルース・ベネディクトは、日本人と欧米人を、恥の文化と罪の文化に分類した。私たち日本人は、世間に対して恥を感じ、恥をかかないように行動する国民性であるとした。それに対して欧米人は、キリスト教の原罪を行動原理にしているとした。つまり、神の前で罪を感じ、罪深くならないように行動するのだと。 彼女の分類に乗って言えば、日本人は、恥をかき、自分自身を悔い改め、もう一度自分自身を見つけ直そうとし、自分自身を変えようとするのだ。それに対して、欧米人は、罪を認め、自分

          自分自身が間違ったと受け入れた段階から、意識的に自分自身を再構成しようとさせるのだ。

          受け取るばかりの人生なんて存在しないし、与えるだけの人生も存在しない。

          人生は持ちつ持たれつだ。そして、ギブアンドテイクだ。他人との関係の中で生きていく私たちは、単独で何かを行うというよりも、誰かと何かを行うほうが圧倒的に多い。それがどういうことかというと、自分がうまくいっているときは、他人を支援し、協力する。逆に、自分がうまくいってない場合は、他人に甘えることができるし、他人が支えになってしのげる。そういう関係性が出来るということだ。 私たちの人生は良く出来ているのだ。受け取るばかりの人生なんて存在しないし、与えるだけの人生も存在しない。どち

          受け取るばかりの人生なんて存在しないし、与えるだけの人生も存在しない。

          チャンスに出会わない人間は、 一人もいない。それをチャンス にできなかっただけである。 (アンドリュー・カーネギー)

          私たちは、生きている限り、誰かと巡り合い、どんな出来事かはわからないが、ある出来事と遭遇し、そして、いろいろな機会を経験する。まさに、生きているということは、出会うこと以外にはないのだが、その出会いを私たちは、すべてにわたって意識するかというと全くそんなことはない。ほとんどの人は、ある出会い、ある機会だけを意識し、その他の出会いや機会は、 なかったかのように過ごしてしまう。 だから、ほとんどの人と同じようになりたくないのであれば、出会いや機会に徹底的に敏感になることだ。何か

          チャンスに出会わない人間は、 一人もいない。それをチャンス にできなかっただけである。 (アンドリュー・カーネギー)

          現象を鵜呑みにしないで、原理に関心を持とう。

          人生には、好奇心が必要だ。 「なぜこうなるんだろう?」、「どうしてこう動くんだろう?」、「なぜこんな決まりになっているんだろう?」、「なぜこれをやらなくてはならないんだろう?」、こういう疑問が人生には必要だ。 「こういうものなんだろうな」、「そういうことなんだろうな」と自分から勝手に納得しても、人生では何もならない。疑問からスタートして、納得することだ。疑問を経ない納得は、何かに丸め込まれる可能性が圧倒的に高いのだ。 「なぜ」という好奇心を持ち続けよう。現象を鵜呑みにしな

          現象を鵜呑みにしないで、原理に関心を持とう。

          どんな事態になろうとも、解決策はある。

          私たちの人生は、与えられたものをどう生かすかというゲームだ。私たちは、親や生まれた環境を自分で選んで生まれてくることはできない。ましてや自分の命を自分自身でどこからかもぎ取って、生まれてきたわけではない。つまり、偶然の産物として生を受け、人生をスタートさせるのだ。 だから、私たちの人生のスタートは、全て、与えられたものとして自分の目の前にある。その目の前にあるものをどう使って生きてきたかで、人それぞれの人生が決定するのだ。つまり、生きていく中で、自分が獲得した結果が人それぞ

          どんな事態になろうとも、解決策はある。

          覚悟して、荒野を歩もう。

          私たちは、居心地の良い場所を選んでしまう。コンフォートゾーンに安住してしまう。しかし、そのままそこに安住してしまえば、自分の成長も人生の面白みもない。毎日が日曜日になってしまったら、刺激がなくなって、自分自身に気づかなくなり、大切なことに気づかなくなり、そして、日々を惰性的に生きてしまう。 だから、私たちは、コンフォートゾーンから、勇気をもって抜けだして、自分の力をフル活用できる場所で、新しいことに挑戦していかなければならないのだ。自分の成長のためにも、人生をより良くするた

          他人あっての、機会あっての、この自分なのだ。

          私たちが感謝する時とはどういう時か。一つは、自分の夢が叶った時。それも、自分だけの力ではないと明確に思った時だ。この時、人は、他人に感謝する。特に、夢の実現に協力してくれた人に。もう一つは、ここまで生きてこられたことに対する実感がはっきりとわかった時。この時、人は、自分に関わったすべての人に感謝する。一人では生きてこられなかったなと。 私たちは、自分が謙虚になる時、他人に対して見上げるように、自分の頭を低くして、何事も見るようになる。その時、他人のことも、その他のことも、自

          他人あっての、機会あっての、この自分なのだ。

          自分が本当に信じたものでしか、他人は動かせないものだ。

          私たちは、誠実を求める。誠実とは、状況に対して最適な対応をしようとすることだ。たとえ、最適な対応が出来なくても、それを目指した対応ならば、相手はそれを認め、感謝をする。それが、たとえ上手く行かなくても。 私たちは他人と協同で何かをすることが多い。だから、他人に誠実に向き合うことが求められる。嘘や誤魔化しで他人を動かそうとしても、すぐに底がばれて、他人は動かなくなる。真実しか他人を動かせない。それこそが誠実なことだからだ。 自分が本当に信じたものでしか、他人は動かせないもの

          自分が本当に信じたものでしか、他人は動かせないものだ。

          他人との競争をし続けている以上、自分の道自体を歩き始めることは出来ない。

          私たちは、一人では生きられない。そして、一人では中々意味をくみ取れない。いつも何かを基準として、比較の中で意味をくみ取っていく。だからこそ、私たちは、いつも他人と比較し、自分の意味も価値も、そして存在証明も、してしまう。内心ではいつも他人との競争の中にいる。そんな状態が私たちの人生の大半を占める。 しかし、他人との競争をし続けている以上、自分の道自体を歩き始めることは出来ない。他人を意識し、他人との比較に引きずられていくことになってしまうからだ。だから、私たちは、どこかで、

          他人との競争をし続けている以上、自分の道自体を歩き始めることは出来ない。

          余裕という力

          心の余裕とはどういうことだろうか。それは、渦中の中にあっても、その渦中からちょっと抜け出せる力だ。自分自身をどこかに置き忘れて、何かに夢中になってしまい、そのまま自分を振り返ることもなく生きていくのをちょっと待て!と第三者の目で見る力だ。 この力を心の余裕というのだ。だから、私たちは、いつでも自分自身を実況中継するように生きていこう。そして、一生懸命やっている状況の中でも、心の中で第三者として自分を解説するように、日々習慣化していこう。 楽しい時に、ちょっとはしゃぎすぎじ

          技術ではなく、どう心を伝えるか。

          私たちは、表面を取り繕おうとしてしまう。なぜならば、すぐには、何事も起きないからだ。その場が無難に過ぎれば、まずは、身の安全は確保される。だからこそ、上手くできるように、練習をし、訓練をし、そして、ある程度、出来るようになって、そこからどうするかを考える。 しかし、そこからが難関なのだ。どうすれば、さらに上手くなるのか。何をどうすれば、自分の想いを込められるのか。どんな練習をすれば、心が自分のやっていることに宿るのか。ここが、中々わからないのだ。 私たちの人生は、全てそう