排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和すかに、心を労したい。(松下 幸之助)
対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。対立あればこその深みである。妙味である。だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、これといかに調和すかに、心を労したい。(松下 幸之助)
【考えるヒント】
自然は、対立構造を内包しながら存在している。光があれば影があり、食べるものがいれば、食べられるものがいる。満ちる潮があれば、引く潮があり、晴れの日があれば、それを否定する雨の日もある。
つまり、自然界では、対立することは悪いことではなく、補完関係として存在しているのだ。これは、人間関係も同じで、対立構造を内包しながら、前へと進んでいくものなのだ。自然と違うのは、前に進むという変化だ。自然は基本的に自分の意志で、内包している秩序を変化させようとはしないが、人間は、自分の意志で変化をさせようと生きている。
だから、私たちは、対立構造をステレオタイプ的に悪だと決めつけないことだ。対立構造には、いつも進歩が隠されている。その進歩を掴むことだ。そのために、対立構造を受け入れることだ。対立構造を自分のものにすることだ。
【考えるヒント・今日の言霊】
2020年11月19日(木)VOL.5076
作者:中土井鉄信(合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)