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社会のメンタリティーを見つめ直す時ではないか(東大前刺傷、容疑の高2「以前から計画」当日に下見か 朝日新聞 1月17日)


大変な事件が起きた。大学入学共通テストの初日に、東大の試験会場の路上で刺傷事件が起きてしまった。それも、東大を目指していた有名進学校の生徒が犯人だ。当然、世間は、この事件にいろいろな反応を示した。ネットの記事でしか情報はないが、その犯人像が、徐々に浮かび上がってきている。

このような事件が起こった場合、私たちは、何を問題にするべきだろうか。教育問題として考えた方が良いのか。それとも、犯人の特異性を問題にして、個人に還元して終わりにするのか。はたまた、社会的な安全弁の問題として考えた方が良いのか。いろいろな意見があるだろう。

私としては、社会のメンタリティーを見つめ直すことではないかと思っている。犯人の今後のことも、受験前に事件に巻き込まれ、ひどいことになった被害者のことも、そして、路上を歩いていただけで、犯人に刺されてしまった老人のことも、当然、大きな問題なのだが、事件を間接的にしか理解できない私たち、それも当事者と全く関係のない私たちが、このような事件を考える時、それは、当事者の色々なことを暴くよりも、そして、分析するよりも、なぜ、このような事件を抑止できなかったのか。なぜ、社会には、このような事件を起こすメンタリティーに対して、何も機能しえなかったのかを考えた方が良いのではないかと思っている。

私たちの社会は、何の免疫もない人間に、情報だけは平等に送られ、その情報に毒されてしまえば、その手の情報が次から次へと、どんどん送られ続けてしまう。昨年のアメリカ大統領選然り、ネット右翼の問題然り、陰謀説の問題然りだ。そして、いったん信じたら、自閉的な世界を形成してしまう。こうなれば、逃げ道はなくなってしまう。

このようなことが今の社会の中で、どんどん進行しているように思える。
このようなメンタリティーを解明し、社会の安全弁を作っていく方向へと
向かわなければならないのではないか。今回の事件で考えなければならないのは、このようなことではないか。そうしなければ、このような事件は、どんどん増えるように思う。

【教育記事から教育を考える】
2022年1月28日(金) VOL.720
作者:中土井鉄信(合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)

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