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科学は神話に辿り着けるか(松浦荘『時間とはなんだろう』を読んで)
「時間」という「実感はあるのに実体がない」ものの本質を、物理学の最先端から捉えようとするのが本書である。
基本的に物理学の話なので、当然ロジカルに展開するのだが、なにぶん一般人が考える物理の常識を軽々と超えていく世界。途中からは、かなり集中して読まないとついていけない(僕が凡庸なだけなのかもしれないけれど)。
「時間とは本来、時間と空間が一緒になった『時空』という枠組みの中で捉える必要がある……」(108頁)
このことは、僕が考える時間論においても前提になっているが、改めて最新の物理学の見地からこの事実を眺めてみると、新しい発見がある。
また、ミクロの世界の話では、次のような事実が紹介されている。
「原子核の周りを回る電子は飛び飛びの軌道にしか存在が許されない」(179頁)
僕はこのことについて、勝手に「素数との関係」を疑っている。
「これ以上割れない原子(飛び飛びになる電子の軌道)=その数でしか割れない素数(飛び飛びで現れる数字)」という共通点が、僕の中で自然と浮かび上がってくるのだ。……いや、全く的外れな話かもしれないし、だからどうしたという話なのだが(笑)。
さらに難しい話になるが、素粒子とは「量子場」の波である、という話があって、しかもその波は「可能性のあるあらゆる運動が同時存在する」という波だという。これだけ書いても全く意味不明であることは百も承知だが(笑)、そこから発想を広げることはできる。
僕らはつい固定観念に縛られがちだが、この「量子場」の波のように、「あらゆる可能性」を自分の思想の中に同時存在させれば、そこからの解放が可能になるのかもしれない。
具体的に言えば、あらゆる「かもしれない」を同時に想定する、ということである。そしてこの世界とは、そうした「かもしれない」の積み重なりにほかならないのである。
このように、最新の物理学は、本当の意味で理解するのは大変な気がするけれども、そこからさまざまなインスピレーションを得ることができる。
社会人類学者のレヴィ=ストロースが指摘していたように、最新の科学は、太古の神話の内容と共通する部分を持っていたりするのだ。「時間」についても、科学的な観点からその本質を突き詰めていけば、最終的に太古の神話的解釈に辿り着く、ということだって十分あり得るはずである。
本当に理解しようとするとなかなか骨の折れる本だが、それでもこの本ほどわかりやすく伝えようとしてくれる本はなかなかないと思う。時間への関心に限らず、最新の物理学から眺めた世界に興味がある人は、ぜひ手に取ってみるといいと思う。