まなぶ楽しさを子どもたちに伝えるために
こんにちは!狛江市で放課後の居場所づくりをしている、まなびやの宮田です。
今日は、「まなびの楽しさ」について書いてみたいと思います。
「まなびが楽しい」と思ったことはありますか?
わたしは、小学校中学校そこそこの成績で、高校は進学校、大学は国立の4年制大学に進みました。
一見順風満帆なように見えるかもしれませんが、言葉を選ばずに言うとどこにでもいる平凡な「フツーの子ども」でした。
だから敢えて人と違う道を選ぶ勇気もなければ、選択肢さえ知らない、という感じです。
勉強が好きだったかと言われると、小中学校時代は勉強に思い入れは特になし、おもしろいと思ったかどうかの記憶さえないくらいです。
高校に行って楽しい先生や親身になってくれる先生に出会い、勉強が楽しいと思えるようになってきたかな、という感じ。
でもまだまだ、学校の中で学ぶ5科目の枠の中での楽しさだったというか、「これだけ頑張ったからこの成果が出た」とか、
「やっと数学が部分的に分かるようになった」とかそんな感じでした。
そこに転機が訪れたのは、大学で社会学を学び始め、地域コミュニティの中に実際に身を置き始めたときです。
大学入学当初、社会学についてほとんど知らなかったのですが、ぼんやりと社会課題に関心があり、社会学の授業を取ったことが出会いのきっかけでした。
「社会学ってなに?」と問われると、わたしがいつも回答しているのは
「世の中の当たり前を疑う学問だよ」と答えています。
だから社会学にはたくさんのジャンルがあります。「教育社会学」「地域社会学」「ジェンダー社会学」「都市社会学」…などなど。
いろんな分野の当たり前を疑い、そのものの本質を見極め、どう社会を良くしていくのかを根本から考えていく学問だとわたしは考えています。
まなびが楽しいと感じるためには
社会学は「当たり前を疑う」からスタートする学問なので、まず自分なりの問いを出します。
当たり前は人によって違うから、問いは必然的に自分の立てた問いになるはずです。
だからまず課題を出す時点でおもしろいなと感じていました。
同じ文献を読んでいても、疑問に思うところはみんな違うからです。
そしてひとつの問いを持ってフィールドワークに行くと、自分の思い込みに気づかされたり、新たな問いが生まれたり、そもそもなぜ自分が思い込みを持っていたのかを多様な面から考えたりします。
次から次へと問いが生まれてくる、それに対して自分で考え、意見を持つプロセスそのものが楽しい。
まなびは、「実践的で、自分事」になると楽しいのだ、と思いました。
もちろん、いまの義務教育の中でまなびの楽しさを見出している人は、それはそれでいいと思います。
でも、まなびやを開催し、子どもたちとお話しする中で感じるのは、学校の勉強を心から楽しんでいる子が少ないということ。
楽しくないフリをしている場合もありますが、教えられたことをただこなし、イヤイヤ勉強するのでは、ますます勉強やまなびに対してマイナスなイメージを持ってしまうと感じています。
「まなびは楽しい!」と感じること、知らないことを知る喜びを感じる体験を届けるため、わたしは探究学習に取り組んでいきたいと思っています。