想いは届くー
昨年末、いつも使っているパスケースを落とした。小学校の高学年の時から使っているもので10年以上使っていたと思う。僕はあんまり落とし物をするタイプではない。自分で言うのもなんだが結構、慎重なタイプだと思う。家の鍵を閉めたか忘れてしまった時は、たとえ最寄り駅の近くまで歩いてきたとしても、必ず戻るタイプだ。大体そういう時に限って、必ずといっていいほどちゃんと鍵はしてある。骨折り損なのはわかっている。そんな自分が大切にしているパスケースを落とした事が何よりも信じれなかった。
落としたと思った日に行ったところには後日電話して確認した。パスケースの色は緑色、ただ10年も使っているので色褪せているし、角のところもボロボロだ。
だから説明する時には「色褪せている緑色のボロボロのパスケースなんですが」と言って聞いた、しかし向こうからの回答は全て「そういった落とし物の連絡は来ていない」という事だった。
僕は落胆した。
前に一度だけ大学構内で置き忘れた事があった。その時は落とした翌日に見つかった。ただ今回は閉ざされた大学内ではなく、自分の住んでいる近隣全てだ。はっきり言って、探すのは困難を極める。お店側がないというなら、お店に落としたわけではなさそうだし、そうすると道路とか、近くにある川とか、もしくは誰かが拾って捨ててしまったとか?
落とし物なら警察署に届け出ればと頭の奥底に考えがあったものの。
丁度、この時、実家に帰省する準備をしていて警察署に届けている時間がなかったし、年末で大学の課題やら、バイトやらで忙しかった。一応、警視庁の落とし物検索サイトにいってみたものの、年末という事でサービスを停止していた。
こうなったら、自分で探すしかない。
母には「新しいの買えばいいじゃない」と言われた。たしかにそうだ、実際、パスケースの中に入っているパスモの中には70円ぐらいしか入っていないし、交通定期もすでに切れていた。あんまりにも見つからなかったので、パスモの再発行手続きもすでに行っていて、手元にはすでに新しいパスモがある。
問題なくそれで生活出来ている。変わったのは入れているパスケースがなくなっただけ。たったそれだけだ。別に困っているかと言われると、そうでもなかった。ただでも、見つけたい、もはやパスケース云々よりも、自分がモノを落としたという事実を認めたくなかったのかもしれない。
12月の下旬、世間はクリスマスも終わり、新年に向けて着実に準備しているなか、僕は懐中電灯を片手に唯一暇になる夜にかじかんだ手を温めながら、きれいな星たちに見守られて、小さな薄汚れたパスケースを探していた。
「やけに空がきれいだ」そう思った。パスケースを探すのに夢中になって首をずっと下に向けていたせいか、首の付け根のあたりが痛い。懐中電灯を持っていない手で首を抑えながら、おもわず首を上げて、空を見る。
12月の夜空は雲ひとつない。
星々が輝いている。
自分のマスク越しに漏れる息が寒いせいか、白く色づく。
真冬を感じさせる大空が目の前を覆い、「きれいだ」無意識のうちに心の声が口にでる。
僕には憧れている人がいる。その人はとても強く、逞しく、いつでも輝いていた。僕が憧れているという事は向こうは知る由もない。あんまり会話もした事ないし、一緒に遊んだ事もない。
僕がその人を知ったキッカケになったのはその人の「絵」だ。いまでも目に鮮明に焼き付いている。
その絵はたしか中学の音楽発表会のテーマ絵だった思う。テーマは何であったか忘れてしまったが、彼女の絵は一人の少女が立ち、山々を見つめていて空には綺麗な星々が描かれていた。一つ一つの作業が細かく、どれだけ真剣に描いているかが素人の僕にもすぐにわかった。
その絵から、その人の息遣い、絵に対する眼差しがわかるような気がした。圧巻であった。
その人とあんまり接点がないまま、中学を卒業し、高校も卒業した。僕は元々、大学に行く気はなく、これからの人生を迷っていた。
日々暗いトンネルにいるような感覚だった。だけど、その人を忘れる事はなく、何を思ったかラインをした。多分、モヤモヤしてた自分を誰かに伝えたい、話したい、そんな気持ちだったのかもしれない。
自分でも読む気が失せるぐらいの長文を送ってしまった。
高校が男子校だった事もあって、女性との接し方が正直、わからずにいた。ウザがられていないだろうか、本当にこの言葉で良いのだろうか、5回くらい読み返した。
1日ほどたって、返信が来た。「もちろん覚えているよ・・・」から始まる返信は僕の文章と同じぐらい長文で、なぜか嬉しかった。
ただそこに書いてあったのは、僕が予想していた内容ではなかった。僕は勝手にその人は良い大学に行き、さぞキャンパスライフを謳歌しているのではと勝手に思っていた。その人からの返信には、色々な事情が重なり大学には行ってない事、もうすでに仕事をしている、社会人である事、不幸が重なってしまった事。
自分で見ている言葉を理解出来なかった。それほどまでに、自分の考えていた姿と違っていたのだ。これは直接、会って話をしなきゃいけないと思い、会える事になった。もちろん会うのは4年ぶりぐらいだ。当日、僕は緊張で足が震えていた。2月だったという事もあってか寒かった。会った当日の事をここで話すと膨大になり過ぎるので。また今度。
ただ僕が感じた事を少しだけ。
僕はここから長い浪人期間に入る。大学に行こう、本気で勉強しようと思ったのはこのあたりだったはずだ。その人はほとんど中学を主席で卒業していたと思う、だけど大学にはいかない。長いものにまかれるのではなく、自分で自分の道を切り開こうとしていた。カッコいい。でも自分にはそんな力も誇れるものもない。成績は下の中ぐらいだし、これがやりたいというモノもなかった。
でもここからの自分は違う。未来は待つものじゃなくて自ら創り上げるものだ。その信念のもと、本をむさぼるように読みの教科書や参考書と寝食を共にした。そして時間はかかったものの、大学に自分の力で合格した。
そんないつも僕の事を奮い立たせてくれるその人と入学してから会う機会があった。もちろん誘うのは僕。自ら行く覚悟と勇気と度胸はもうついた。足は震えてない。
何年かぶりだというのに、お互いすらすらとしゃべる。なぜかはよくわからない。食事をしようと近くのご飯屋に入った。時間帯のせいかランチをする人々でお店は満杯で、外の椅子に2人で腰かけた。店員の女性がメニューを持って来てくれ、メニューをめくっていく。
肉料理も魚料理もどちらも美味しそうだ。外から見えるお店の雰囲気も良い。2人に対してメニューは一つだったので、僕がメニューを持ってその人に見せていた。
彼女が指さしたのはおいしそうな白身魚の料理だった。
でも僕は息が止まってしまった。
彼女が指さした料理ではなく、彼女が指さしたその指に。
指の皮がめくれ、少し赤くなっていた。乾燥しているせいか、広範囲に血がにじんでいる様子だった。僕の視線に気づいたのか、無意識になのか、さっと指をしまった。全く違和感なく。
絵を描いていると絵具を直に触る事がある。それをキッカケに肌が荒れてしまう事があるのだ。
特に油絵などに使用する油には毒性がある場合もあり幼児に使わせる時などは細心の注意が必要だったりする。
僕自身、高校の頃、美術の作品で油絵を描いた事があるのだが、どうしてもブラシだと質感が違う、と思い指で触って描いていたことがあった。数日後、びっくりするほど肌が荒れてて、軟膏を塗った覚えがある。
彼女が指をしまった時、そう考えた。彼女は画家で毎日絵に触れている、もちろん絵具にも。
多少肌が荒れてしまうのは仕方ない事だ。そういう血のにじむような努力もあって彼女の作品が生まれてるのだ。
いやでも違う。いくらなんでも変だ。おかしい。ちょっと荒れすぎだ。その時僕は自分が間違っていた事に気が付いた。
彼女の行っている仕事は少しデリケートで、手を酷使しないといけない。手を使うたびに手を綺麗に洗わないといけない。消毒もしっかりと行わないといけない。
これは肌が荒れているんじゃない。
彼女が自分の仕事に絶対に手を抜かず真剣に、丁寧に、ひたむきに、懸命に頑張ってる証なんだー
「本物」という言葉が脳裏をよぎった。強い、誇り高い、この人は本物だと心の底から思った。
食事中、僕ともう一人の大学に通っている親友が僕が大学に合格してから会った時に、彼女の話になって、お互い出た結論が「カッコいい」になったことを伝えた。
他人が通る道を通る事は簡単にできる。すでにレールが存在しているのだ。
乗っかる努力さえすれば誰でも、通る事はできる。
でも自分で自分の道を創る事は難しい。
人からの評価軸から抜けて、己と対峙しなければならない。これは言葉で言うほど簡単じゃない。
できると信じた自分と、できないかもしれないと思う不安な自分と絶えず葛藤しなくてはならない。
みんなが前を歩いているなか、自分は立ち止まっている。そんな錯覚に陥る。このまま進めないかもしれない。
暗闇の中を全力で疾走している感覚だ。
もちろん、転ぶ、何度も転ぶ。
立ち上がる時に周りに人はいない、自分しか。
でも前を向かなきゃいけない、
生きるために、
前に進むために。
信じた自分を信じるために。
並大抵の覚悟ではない。彼女は自らその険しい道を選んだのだ。
自分を信じるという事で道は開かれる。前を向く事ができる。
カッコいいよ。
そんな事を彼女に伝えていたら、目に涙をためて、泣き始めてしまった。
つられて自分も泣きそうになった。
心の底からの尊敬の念で目に上がってくる涙をせき止めた。
ここで自分が泣くわけにはいかない。思わず目を逸らした。
画家という夢を追っていても、日々の生活や現実に向きあわないといけない。
自分のなかで人と違う人生や道を歩む事に迷いはないと言い聞かせていないと、自分が壊れてしまいそうで、辛かったのかもしれない。
彼女はなにも話さなかった。
でも僕には彼女の事が誇りに思える。ひとりぼっちじゃない。
僕の尊敬の念の想いは届いたはずだ。
彼女の涙が教えてくれた。
そう感じる。
つい先日、警察署から電話があり、僕のパスケースが見つかったという、取りに来てくれとのことだった。びっくりだ、2カ月も前に落としたものが見つかったのだ、つくづく日本は良い国なんだなと実感する。
どこのだれかはわかりませんが、拾ってくれた方ありがとうございます。
僕のパスケースへの想いが届いたのかもしれない。
目に見えない力は存在する。絶対に。
どんな事であっても、できると信じれば、できる。
届くと信じれば、想いは届く、きっと。
(完)