
今日のYOGA。「特別な月の始まり/雪だるまを溶かすようにケアを」
11/1
9:30。
新しい月が始まった。
少し特別なひと月が。
冬は始まるし、
茶道の世界でもスタートとなる月で、
個人的には誕生月。
この大切な月の幕開けに
こうして心身を整える時間を持てたことは
幸せだなと思う。
「今のこの心と、この身体」をもって
11月を過ごすことへの覚悟が芽生えた
という意味でとても。
11/2
7:05。
空気が乾燥してくると
心もソワソワとしてくると
先日もここへ記した。
そして、今日
この日々のソワソワが
「疲れ」につながっていることに
気づかされる。
そのせいか
あまり大きく身体を動かしたくなくて
気づけば座ったままできる
ポーズばかりとっているのだ。
無視しようと思えば
できてしまうこのささいな「疲れ」。
ただ抱え込んでいると
雪だるまのように膨らんでいきそうなので
これを逆に
雪だるまを溶かすように
ケアしていきたい
ということを思わされる。
11/3
10:00。
出かける前に
ヨガしたいと思っている中
時間をつくれたことが嬉しかった。
こうして
やりたいことのために時間をつくること
その時間の中で腹をくくって
そのことに取り組むこと。
これがだいぶ上手にできるようになってきた
ことは喜ばしくて。
以前は、
しない言い訳を
つらつらと並べて
その時間を埋めてしまっていたことが
多かったような。
11/4
ヨガできず。
背中の詰まり
明日は取りたいな。
11/5
8:45。
ソワソワによる疲れを
「溶かして」いきたいと思っていたのに
その「雪だるま」は大きくなっていた。
首のつけ根の力みが
どうあがいても抜けないのだ。
少し気合を入れて
身体を大きく動かしてみる。
前屈をして頭と首を
だらーんとさせる一方で
腰や脚で全身をしっかり支えながら。
でも一時間ほど動かしてみても
首の力みは楽にならなかった。
また明日から
少しずつ取り組んでいこう。
18:20
明日と思っていたのに、
待ちきれなかった。
ポーズの連なる
月の礼拝で
全身をゆるめることを
試みてみる。
その中では、
ひざ周りのカタさが
気になった。
窮屈になっていたのは
首だけじゃなかったことに気づかされて。
ここまで固まってしまう前に
ケアしてあげることが理想ではあったけれど
過去のことを
くよくよしていても仕方ない。
今できることを考えようと
切り替える。
とにかく今夜は
お風呂にゆっくり浸かって
早めにお布団に入ろう。
11/6
12:20。
立位(立った状態)のポーズを
している時。
くっとおなかに力が入った。
おへその下のいわゆる
「丹田(たんでん)」と
呼ばれる場所に。
そういえば、
この身体の要(かなめ)に
力が入った感覚は久しぶりだった。
もしかしたら
この頃感じていた疲れは、
ここに力が入っていないことで
生まれていたのかもしれない
逆に疲れていることで
ここの力が抜けていたという
両方があったのだなと
いうことにはっとさせられて。
11/7
8:40。
締めくくりの「シャヴァーサナ」。
仰向けに寝転ぶだけのポーズが
なんだか落ち着かない。
首の付け根がまだカタいのだ。
首が安定しないと
頭の落ち着くところも見つからなくて。
ここのところ少し不調和のある自分。
否定せずに
「今のわたし」と受け止め
終えることにした。
11/8
8:00。
この頃のソワソワとそれによる疲れと
どう向き合うか
そのことを考えながら
ポーズをとっていく。
まずは、たくさん食べよう
ということが思い浮かんだ。
こうした時「食べないこと」が
平気に感じられ
ソワソワに拍車をかけてしまったことが
春から夏になる時にもあったからだ。
そして、よくヨガをすること。
その中でも夢中でポーズをとることが
いいのだろうなということも
記憶の引き出しから
ほろっと出てきた。
17:35。
朝だけでは足りず、
この時間にもヨガを。
ゆっくりと月の礼拝をしていく。
身体の不調和を否定しないことを
心がけながら。
この自分も今の自分と
許してあげるという感じだろうか。
気持ちが楽になっていく。
11/9
7:00。
昨夜の皆既月食にあやかって
月の礼拝を。
月が綺麗だったなと余韻に浸りながら
ポーズをとっていくと
腰回りのカタさに気がつく。
そして、ポーズにより伸ばされることの
気持ちよさも感じながら。
昨日したいと思った
「夢中でするヨガ」が
今日は叶った日になったみたいだ。