考えるチカラ。
私の母の人生の中心人物、思考の中心人物は、
私の父であるようだ。
私が実家で暮らしていた頃は、そこに私というひとり娘の存在も加わっていた。
若かった頃は、そんな家族の関係性を俯瞰的に見ることなんてできなくて、ただただ自分自身に必死で夢中に生きていた。
それでもそんな母の依存気質なところは無意識的に感じ取っていて、社会人になり数年した後に私は、実家から遠く離れた地へ引っ越す道を選択した。
母から物理的に距離を取る道を、迷うことなく選んたのだ。自分自身の人生を生ききるために。
母は底知れぬやさしさを持つ人だ。
そして、ずば抜けた共感力も持ち合わせている。
両親にはとても大切に育ててもらったと思っていて、その点は改めて感謝しかない。
母は少し天然なところもあって、母といるとまるで私が親で母が娘のような雰囲気なのだ。
それでも母と一緒に過ごしていると私はやっぱり娘に戻っていて、ふっと楽な気持ちになることも間違いはない。
ただ、ずっと母は自分自身のことを客観的に見る、ということができない人だった。母自身のひとりきりの世界というものが、私には見えることがなかった。
冷たいと思われてしまうかもしれないが、思考の中心が常に父という存在に覆われている母のように、自分もそうなってしまうのではと私は恐れていた。
私はそうではない道を生きたくて、どうすればいいのかを考えた。自分について考えた。
どちらかと言うと、様々なことを感じ取りやすいタイプに生まれてきたことは、仕方がない。
神様に、
「非常にめんどくさい脳みその人物のようなので、別の人間と取り替えてもらえますか?!」
なんて私の魂が言えたのなら、苦労はしなかったのだろう。
そんな無意味な妄想は置いておこう。
なにかしらの生きづらさを抱えた人は、自分以外の何かを思考の中心に据えがちなのかな?と個人的には考えている。
私の母のように、それが私の幸せなのですから!という方は、それで良いのだろうなと私は思う。
色々な人がいて良いじゃん、という考えで私自身は生きているからだ。
でも私は自分の思考の中心人物には、自分自身を据える道を選んだ。孤独と向き合って、そんな自分に夢中になった。
とかなんとか言いながら、夫もいて子供たちもいて、全然孤独じゃないじゃん!と言われてしまえばその通りだ。
でも、思考の世界では人は常に孤独だ。
その孤独に背を向けずに見つめること。
それがその人の成長に繋がるのだと思う。
◇
一昨年だっただろうか?
「鬼滅の刃」が一世を風靡した時期、もれなく我が家にも鬼滅の刃ブームが到来していた。
母である私までもが、どハマリしてしまったのだ。
最近とくに、主人公の炭治郎のその台詞がよく頭に浮かぶ。鬼殺隊のように、私は究極にストイックな人間には全然なりきれないが。
ここからは鬼滅の刃をご存知ない方には、まったく何のことだかわからない話しになってしまうと思う。
冨岡義勇という鬼殺隊の柱がいる。
クールなタイプのイケメンだ。
その同期に、それなりに強いのに出世しきれなくて憎めない平凡な雰囲気のキャラの男がいる。
村田さん、と言って非常に親近感を覚えるような存在だ。
冨岡義勇は鍛錬の末に才能を開花させ柱となり、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世していくのに、村田さんはいつまで経っても出世しきれないままだ。
でもとても情に厚くて涙もろくて優しくて、共感できるキャラクターなのである。
いつも『ここは俺に任せてお前は先へ行け!!』的な役どころの目立たない、地味な仕事で鬼殺隊を支えている。
そんな縁の下の力持ち的存在の平凡な男、村田さんが私は大好きなのだ。
たまに鬼滅の刃を無性に観たくなるのは、そんな村田さんも含め、どこかに鬼殺隊精神を忘れたくないという想いが、私のなかにあるからなのだろう。
また漫画読もうかな、と今日書いていて思った。
好きなことを書くことは猛烈に楽しすぎて、ついつい長文になる。長いと皆さん読むのしんどいだろうな〜と思いつつ、自分が読み返したいので自分のためにも書きました。
◇
まとまったようなまとまっていないような……笑
ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。