自分の身に起こった出来事をどう捉えるのかはその人次第。〜ひとつの出来事にも悪い面もあれば良い面もある〜
他の誰かと自分を比べて果てしなく落ち込んだり、
自分ではない誰かになろうとして、がむしゃらに
努力するんじゃなくって。
自分自身の内側を注意深く見つめ、自分が持って
生まれた特性や無理なく出来ることを知る。
そしてそこを伸ばしてあげる。
そのことの重要さに気が付きつつある今日この頃だ。
もしも今いる環境に苦しさを感じているのであれば、たまたまそこが合わなかった、という場合も
大いにあったりする。
何事も本気でトライしてみないと、
「自分には合っていない」ということすら、わからないものだ。
以前の記事にも書いたけど、私みたいにアラフォーになるまで何年もの間、本当に自分に合う生き方を見付けるために模索や迷走を続けて来た人間もいる。笑
世界は広い。
そして世の中には色々な人がいるし、様々な生き方がある。
今目の前にある世界や目の前にいる人達が、
この世の中の全てじゃない。
人生に起こる出来事や、人間そのものにも、
多面性がある。ひとつの出来事にも、悪い面もあれば反対に良い面もある。
一方から見れば悪い面しか見えなかったとしても、別の角度から見れば、それは瞬く間に良い面に見えたりもする。
例えば私自身を例に上げてみると、
両親が病を抱えている→
そしてそのお世話をしなければならない。
これは、一方の面からしか見ない場合には、
ネガティブなことでしかない。
●自分の時間が奪われる。
●定期的に遠く離れた実家へ間接的な介護に通うことで、自分のエネルギーを消耗する。
こんな感じで。
だけど別の角度からこの出来事を見た場合、
両親が病を抱えたことによって私は、
◯脳科学に興味を持った。
◯介護業界や、そして精神医療の世界や精神的な病に並々ならぬ興味関心を抱くようになって、
そうした病や、例えば障害などを抱えながらも日々を生きる方々の気持ちに、思いを馳せることが出来るようになった。
◯結果的にはそのことに向けた追求心や情熱がこうしてnoteを書くことに繋がって、そして今に至っている。
だから、自分の身に起こる出来事をどう捉えるのかはその人次第だよなあって、ほんと思う。
ただ………
自分自身がストレス過多に陥って疲れてしまっていると、自分自身についてや近しい人物についてや、
そして自分の身に起きる出来事を一方の面からしか捉えることが出来なくなったり、今の自分には
「ない」ものにばかり囚われてしまったりする。
私の場合は。
だからそのような時には休む。
たとえ体は元気だとしても、心は傷付いているパターンだって十分にあり得る。
目には見えないけれど。
自分の心の声(インナーチャイルドって言うのかな?)に耳を澄ませてあげて小さなことからでも、ひとつひとつ、それを叶えてあげることが出来るようになると、より自然体で生きられるようになるんだって私は今実感している。
◇
ここまで読んでくださってありがとうございました。