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私たちの生きる意味、を考えた日。〜映画「あん」に思いを馳せる〜

祝日だった今日はお昼過ぎから、中学生の娘の部活動の大会を見に、夫と二人行ってきた。



親ばかなのかもしれないけども、我が娘のこの一年間の成長っぷりと言ったらもう、目を見張るものがある。

若者たちが無我夢中になって何かに取り組む姿というのは、何ものにも代え難く、この国の未来そのものだな~って子供たちを見ていると毎回そう思って、親である私はひとりうるうるとし、感無量だ。

娘と同じ部活のお友達に関しても、小学校からの持ち上がりであり、同学年のほとんどの子の名前と顔を知っていて、それぞれの子がその子なりにちゃんと成長を遂げているので、我が子のことだけではなくて、毎回その娘のお友達の成長が見られることも、私の喜びのひとつとなっている。


結論としては、今回の大会でも娘はとてもよくがんばっていた。

最高学年ではないにも関わらず、部活内のとても重要なポジションをひとり任されていて、あの重圧によく耐えているな~と、親の私の方が毎回感心してしまう。

引き続き、親である私に出来ることであればやり、娘の学生生活をサポートして行きたいと思う。




そうして娘の部活動見学も終わり、学校近くにある園芸店へ夫と二人、立ち寄ることにした。

ここはなかなかに本格的な園芸店であって、小さな鉢に入ったお花たちが所狭しと並べられている。

これからが春本番というこのタイミングは、新たな植物を自宅の庭にある花壇に植えるのにはちょうどいいだろうね~!なんて夫と話しをして、あーでもないこーでもないと言いながら、今回もほぼインスピレーションでいくつかのお花たちを購入してきたのだった。

ちなみにこんな感じでお花、チョイスしてみました。↓


ワスレナグサ、タイム、ハナカンザシ、ネモフィラ、などなど



そうして購入するお花たちを選んでいたとき、私が以前の記事で書いた、オードリーの若林さんの話しを思い出したりしていた。


若林さんはとある夏に、自宅のベランダにあるプランターでヒマワリを自分で種から育ててみる、ということに挑戦をした。

そんな若林さんみたいに植物の成長と丁寧に向き合う、という「心の余裕」みたいなものを私は、ここ最近失ってしまっていたよな……と思ったから。

スマホ、そしてSNS。

その存在は私にとってはすごく重要ではある。
けれども、その小さな画面に囚われているばかりではなくて、目の前にちゃんとある現実の世界の自然の輝きにだって、目を向けていたいなあ……


と………ここまで書いて、とある映画の名言が私の脳内にふっと思い浮かんだ。

今は亡き大女優そしてレジェンド、樹木希林さんが出演されていた映画「あん」にでてくる言葉たちである。

「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきたの。この世は、ただそれだけを望んでいた。
………だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」

映画「あん」樹木希林さん演じる、手の不自由な老女徳江さんの台詞


この映画の予告動画をお借りしました。


そして次に、こちらの映画の原作の小説のあらすじをご紹介したいと思う。


季節は春。桜の咲き乱れる公園に面したどら焼き屋、『どら春』で、辛い過去を背負う千太郎は雇われ店長を続け、日々どら焼きを焼いていた。

ある日この店を徳江という手の不自由な老婆が訪れ、バイトに雇ってくれと千太郎に懇願する。彼女をいい加減にあしらい帰らせた千太郎だったが、手渡された手作りのあんこを舐めた彼はその味の佳さに驚く。徳江は50年あんを愛情をこめて煮込み続けた女だったのだ。

店の常連である中学生ワカナの薦めもあり、千太郎は徳江を雇うことにした。徳江のあんを使ったどら焼きのうまさは評判になり、やがて大勢の客が店に詰めかけるようになる。

だが、店のオーナーは徳江がかつてハンセン病であったとの噂を聞きつけ、千太郎に解雇しろと詰め寄る。そしてその噂が広まったためか客足はピタリと途絶え、それを察した徳江は店を辞めた。

素材を愛した尊敬すべき料理人である徳江を追い込んだ自分に憤り、酒に溺れる千太郎。ワカナは彼を誘い、ハンセン病感染者を隔離する施設に向かう。そこにいた徳江は、淡々と自分も自由に生きたかった、との思いを語るのだった。

Wikipediaより


私が今日購入してきたお花たちを愛でて、それを美しいな~……と感じることが出来るのは、私が生きているからこそ、なのである。

当然のことながら生まれてくることが出来なかったら、このお花たちの美しさも、空の青さも、夕焼け空のグラデーションの切なさも、感じることなんて出来なかった。


この映画は、ハンセン病という過去に実際にあったお話しを題材にしていて、非常に心にズ~ンとくる映画だ。

樹木希林さん演じる、その生涯の長きに渡ってを、施設内の限られた環境で過ごすしかなかった徳江さんは「自分も自由に生きたかった」と、その心のうちを語っている。



だから、最終的に私は何が言いたかったのかというと、この世の自然はそのままの状態ですでに美しく、それを生まれてきて、こうして見て体験できているということ、それだけでも私たちは、すでにラッキーなんだよな!!!ということなのです。

それなので人生思い通りにゆかずに、苦しかったり憤ってしまう日なんかが、たとえあったのだとしても、そんなときでもいつだって、この世界の自然たちは美しいから。

前を向きたいな~と、そう思います。
美しい自然たちに目を向けながら。

今日は、そんな気分になって一日が過ぎて行きました。



ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。

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マナヒロ
記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!

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