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「君の原稿は面白くない」と言われたら
寒いですね。東京は雪です。よくコタツ記事なんて言いますか、まさに最近僕はコタツに入ってぬくぬくしながら記事を書いてます。在宅勤務、バンザイ。
さて今回は新たな取り組みとして僕が今まで「ライター・記者・編集者・編集長」として言われ「ハッとした言葉」を紹介するコラムをやってみようと思います。名付けて「編集人材の『言葉ノート』」です。
「記事にドラマがない」想定外のフィードバックに
あれは記者として1年半くらい経った頃のことでしょうか。
当時僕は製薬企業の記事をよく書いていて、製薬企業の記者会見に参加しては決算情報をまとめてみたり、プレスリリースをもとに新薬にまつわる記事を書いてみたりなどなど、「いっぱしの業界紙記者」として、一通りのことはそつなくこなせるようになっていました。
そんな、仕事がだんだんとルーティン化し始めていたある時、デスクから呼び出され、言われたひとことが今も胸に残っています。
別にいいっちゃいいんだけどさ。この原稿ってドラマがないから、面白くないんだよね。
はじめは、「決算発表の記事に『ドラマがない』もなにも…」という気持ちだったのですが、赤入れされた原稿を実績に戻ってまじまじと読んでみたら、なんとなく言いたいこともわかったような気がしました。
その時僕が提出した記事は、「あくまで事実の羅列だけ」。文法的に大きなミスもないし、ニュースバリューの高い内容から順に、いわゆる新聞記事で大事だと言われる「逆三角形構文」で並べられていて、記事としての体裁はとっている。けれども、それ以上でもそれ以下でもなく、単なるレポートのようにまとまっているように思えたのです。
「どうしてこうなっちゃったんだろう…」と、再度原稿を僕なりに眺めて思ったのは、原稿の随所の「ちょっとしたニュアンス」のところで僕の語彙力が足らず、企業が発しているメッセージをうまく伝えきれていない、ということでした。
うーん抽象的。なので、もう少し所感を深掘ります。
▼その原稿、読んで情景が「脳内再生」できますか?
今僕は、人の原稿を直す立場にいます。
すると、かつての僕と同じように「なんだかドラマがない」と思える原稿に、数多く出会ったりします。
そう言うとなんだか感覚的ですけど、単なる事実の箇条書きになっていたり、意味は分かるんだけど正直面白くない。「仕事だから読むけど、仕事じゃなかったら読みたいと思えないかも…」という原稿に出会ったこと、編集者の方なら何度もあるのではないでしょうか。そういう感じです。
そういう原稿に出会ったとき、僕がよくしているフィードバックは、「読者に、情景を脳内再生させるつもりで書いてみてください」というものです。
人は「事実の羅列」だけでは思うように感情移入できませんし、よほど興味のあることでない限り、先に読み進めようとは思いません。でも、読んだ瞬間脳内に情景が思い浮かぶと、「その先が気になる」と先に進んでしまう。「ドラマ」という表現とは少し違うかもしれませんが、そういうところに、うまく配慮してほしいのだと。
極論で言ってしまえば、事実を端的に伝えるなら「記事」という体裁ではなくて箇条書きでもいいはず。抑揚やリズムをつけたり、「読者を引き込む努力」がなければ、文章にする意味って何なんだろうとか、思ったり思わなかったり。
▼「動詞」に意識を向けるだけで、文章は変わる
ここで筆を止めるとめちゃめちゃ精神論的になってしまうので、今回は一つ、僕個人として記事を読んだ人が「脳内再生できるように」、工夫としてやっていることをご紹介します。
それは、「動詞への配慮」です。
「いつ・どこで・だれが・どうした」という基本文型の中でも「最後尾」に出てくる動詞(どうした)は一般に、人の行動や文章をイメージづける大きな役割を持っている品詞であり、かつ「書き手の側で表現のチューニングができる」、珍しい箇所だったりします(※いつ・どこで・だれがを書き手都合で変えたら内容変わっちゃいますから)。
特に、「言う」「する」「思う」といった動詞は記事における超頻出語ですが、その人の言い方や思惑、前提条件を踏まえると「もっとしっくりくる表現」がめちゃくちゃあったりするので、僕はことあるごとに類語を調べて、「一番近しいワーディング」を使うようにしています。
言う系…訴える/言及する/指摘する/提案する など
する系…断行する/遂行する/やり遂げる/実行する など
思う系…考慮する/検討する/考える など
一つ一つの動詞は、果たして発信者の言いたいこととマッチしているかどうか。また、自分が見聞きしたシチュエーションをきちんと反映するものになっているかどうか。少しニュアンスを変えるだけで、読者の脳内に浮かぶ情景がガラッと変わったりもします。
テキストコンテンツを書く本来の楽しみって、そういう機微をどう打ち出していくかにこそにあるのに、それをせずに、淡々と事実を並べ、「でしたとさ」と終えてしまう原稿は、実はプロが書いたものでも非常に多いんじゃないかと思ったりします。
もちろん特に報道系の記事の場合は、中立的な視点が大切であり、書き手の主観を表現に上乗せしすぎるのはよくないという見方もあります。
ただ、客観的なり過ぎるあまり、逆に情景がよく伝わってこないという事態もあるので、きちんとニュアンスが伝わる範囲で様々な工夫をし、時には型を破ってでもトライしてみた方がいいんじゃないかなというのが僕の見立てです。
文章にもいろんな型があり、「ノールックでそれに従えることがプロ」のような気もしますが、個人的にそこには懐疑的だったりします。なんとなく自動運転で原稿書くんじゃなくって、「今回のケースはどうだろう」と、型を応用し書く癖を持っておくと、文章書くのっていつまでたっても楽しいっすよ。