ライター業界に増える「ライスワーカー」たち
昨日Twitterでスペース的なことをやってみて新しい視点をいただいたポイントについて共有。今回のテーマは「ライフワーク」と「ライスワーク」についてです。
ライター/編集者クラスタの雰囲気が変わったような気がしたわけ
10月からTwitterを初めて驚いたのが
①SEOコンテンツを手掛けるライターが、本当に増えているなという点
そして、
②ライター同士でノウハウを教えあうような投稿が、本当に多いという点
です。
僕がTwitterアカウントを立ち上げるのはもうこれで4度目くらいなのですが、「あれ、Twitterにいるライター/編集人材ってこういう感じだったっけ・・・?」と驚いたのを覚えています。どちらかというと以前はHow toというより、ニュース記事へのコメントや品評といったWhatの部分のつぶやきが多かった印象があったのです。
気のせいかなとも思いつつ、Twitterスペースでその話をぶつけたところ、「副業人材がライティングを手掛けることになったのが大きいのでは?」とのご意見をいただき、「あ、なるほど」と合点がいきました。
少し前にもアフィリエイト中心としたブログ立ち上げやせどりなどなど様々な形での副業には何度か注目が集まっていたようにも思います。
昨今では老後2000万円問題なんかも言われていますし、本業だけで給料を上げていくのではなく、副業も組み合わせながら、いかに総年収を高めていくかというのは、現代日本人の一大テーマとも言えそうです。
そうした中で、ブログよりも比較的短期で成果が上がりやすく、文字単価を気にしなければ参入障壁の低いライターというポジションに対して、注目が集まっているのではないか。たしかに、あるかも。
ライフワーカーばかりだった編集業に押し寄せる、ライスワーカーたち
伝統的にライターや編集者という職業は、「学生時代から文章を書くのが好き」とか、あるいは「ジャーナリズムに関心がある」といった、パッションベースで動く人たちの受け皿であった印象があります。
そういった人たちにとって書く仕事というのは、ライフワーク。
伝えることによってどう人を動かすのか。あるいは何を・どんなふうに伝えたら面白く機微を表現できるか―――といったところに一種の美学を持って挑もうとするのが、こうしたライフワーク型人材の特徴なのではないかと思っています。
書くこと自体が目的であり自己実現でもあるので、「どうやって書くか」という以上に、「何を書くか」というWhatに議論が向かいがちですし、書くべきことが本人の中に腹落ちしさえすれば、多少の不合理があっても、また自分にノウハウがなかったとしても、根性で書こうとしてしまうところがあるような気がします。
一方、ライスワークとして書く仕事に参入してきた人材にとって、書くことは目的というよりかは手段。「何を書くか」というWhatの部分より、効率的に数をこなしていくことが文字通り死活問題なので、技術に目が向かいがちなのかもしれない、と。これは決して悪いことではなく、そうしたほうが自身やクライアント、そしてその先にいる読者にとっても嬉しいというのは、実際にそうなんだと思います。
もちろん、編集に限らず仕事というのは、「ライフワーク」と「ライスワーク」双方の側面があります。人によって両者の比率が異なってくるというだけの話なので、結論としては「そんな簡単に分類できるもんじゃないよ」「みんなライフワーカーでありライスワーカーだよ」「どちらからの視点も大事だよ」という話なのでしょう。
といいつつ、特に昨今では、一人の個人の中でも多様なライフステージがあり、仕事に全力投球できる「ライフワーカー期」と、家庭を優先させたい「ライスワーカー期」があるような気もします。「ライフワーカー色」と「ライスワーカー色」の配合比率の異なる人材同士が、いい感じに力を合わせて、全体像としての良いメディアを設計していくことができたら、持続的なモデルをつくれるんじゃないのかなーとふと思った次第です。
思うのは、ライフワーカーが得意なのは、ゼロからイチをつくること。ライスワーカーが得意なのは、作業を標準化させて効率的に全体の質を底上げしていくこと。ライスワークの人たちが持っている知見や原動力をうまく活用できればライフワークとして仕事に立つ取り組んでいる人たちの効率性も増すのではないか?とか。ライフワーカーの頭の中をライスワーカーがもっと覗けたら、何かイノベーションが起きるんじゃないか、とか。
自社のメディアにおいても、お互いの知見を交流させてより良いメディアを作っていく、そういう循環を上手く起こせないものかなーと思ったりもしています。まだまだ生煮えなので、もっといろんな人と知見を交流させていきたいなーと思いました。とさ。