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スカートの丈が命だった、少女たち

朝起きて顔を洗い、紺色のチェックのスカートに足を通す。ファスナーを上げてホックを止めたらお決まりの儀式。
ウエストの部分を3回外側にクルっと巻くのだ。
あまり短すぎてもいけない、かといって長すぎるのもNG。プリーツのひだが崩れないように調整する。

鏡の中に満足気な私が映る。

10代のあの頃、私たちはスカートの丈を気にしていた。お決まりの丈にするだけで、世界の調和が保たれているかのような気分になる。

今思うと何でそんなに揃って同じものを身につけるのか?というくらいに、流行りの型は決まっていて「女子高生とは」を体現した少女たちが溢れていた。

スカートの丈が命なのだ。
どれだけ先生に注意されようと、その意思は崩さない。

スカートは短い方が可愛いのに!大人はなんでこんなにも口うるさいのかと、世界の中心に若さが居座っていた。

服装チェックがある時は、みんな決まってスカートの折り目を減らし、長くして乗り切ろうとする。
やば!先生くるよ!
そう言いながら、悪戯に笑い合う私たちは共犯者。

スカートが短いからといって、パンツを見る輩には厳しい。階段を登る時は見えないようにお尻に手を当ててガードするし、バイクに乗る時は下にジャージを履く。
乙女のたしなみなのだ。
見えて良いわけが無かろう。

周りの大人から見れば似たような格好をして、没個性と揶揄されたかもしれないが、仲間はずれになるのが嫌だからとか、自分だけ違うのが怖いからとか、そんな理由でやっていた訳ではない。
皆んなで同じものを共有するあの感覚は、きっとあの時だけの特別な時間だった。

プリクラの手帳も、ジャラジャラ付けた携帯のストラップも、背中に背負ったスクールバッグも、今も同じように記憶の中にいることだろう。

ビックリすることに、あれだけ似たような格好をしていたのに、私たちは高校を卒業した途端、皆んな違う道をいくし、全く違う格好で生きていく。

今思えば、人生のうちのほんの一瞬。
同じ価値観を共有していた。
もちろん、それぞれに合う合わないはあって、揉め事もあったけど、スカートの丈に一喜一憂していたあの感覚はきっと二度と味わえない。

先日、テレビの中の女子高生が「前髪が命」と語っていた。友達の娘もまた「前髪が命」らしい。

彼女たちを見る私の目には、スカートの丈を気にしていた若かりし日の私たちが重なる。

そして思うのだ。
前髪がそんなに大事??と。

確実に私は大人の側に来ているようだ。
そして彼女たちは私に向けてこう思うのだろう。この可愛さが分からないなんて!これだから大人は。

どうか謳歌して欲しい。「前髪が命」の世界を。


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