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書くことを決めないで書く

今日は何を書こうかな、と思いながらパソコンを開く。
以前は、書きたいことを思いついたら、iPhoneのメモアプリに保存していたのだが、今はそのやり方はしていない。
いつでもその時の自分を大切にしたいと思うから。内容がどうのこうのよりも、その時の自分が何を思ったかを記録したいと考えるようになった。

とはいえ、パソコンを開いたときに、「今日は書くことないなぁ」と思う日もある。
でもいざ書き始めると、書けないこともない。
むしろ書いているうちに、頭が働き出して、書きたいことが湧いてくるから、まあなんというかウォーミングアップというか、僕にとっては脳トレみたいなものだ。

くどうれいんさんのエッセイを読んでいる。
最初はカバンに入れて外出先で読んでいたのだけれど、なぜだか外出先ではあまり読めないので、今はトイレの書棚においている。すると不思議なことに、読むペースが速くなったではないか。ときどきあるのだ。トイレで読むのに適している本が。これは僕のなかでの〝あるある〟だ。

たしか、くどうさんも書いていたと思うし、他の作家さんも書いていた気がするけど、書いているうちに楽しくなってくる、という。なるほどそうだ、と思った。
お風呂に入るのが面倒臭いのはよくあることだが、いざ入れば気持ちいいし、眠りも深くなる。友達と約束をしていて、だんだん日時が迫ってくると、急にやっぱ行くのやめようかな……などと思い始めるけど、実際会って話すととても楽しい。それと同じで、書くことないなぁと思っていても、いざパソコンを立ち上げて書き始めると、少しずつ頭が活性化してきて、なんだか知らないが楽しくなってくる。

楽しくなってくると気分が上がる。別に人と話しているわけでもないし、特別楽しい出来事があったわけではないけれど、だからこそ余計に書くことの意義みたいなものを感じる。

朝、もやっとしたことがあっても、将来の不安ごとが頭をよぎっても、書いているときだけはそれら一切を忘れる。enterキーを何度か押して、そのタイミングでコーヒーを少し飲む。一息ついたら、またパソコン画面を見て書く。
こうして文字で書くと全然楽しいことは起こっていないはずなのに、僕はとても楽しんでいる。

書くテーマを絞って書くことももちろん楽しいんだけれども、何も頭にない状態で思うがままに書き連ねていくのは案外健康的でよい。まだ目覚めていない細胞を起こす感覚。サウナで汗をかくみたいな心地よさもある。じわじわと解放されていくような、小学生の頃に下敷きで頭を擦って静電気を起こして髪の毛を立てて遊んでいたような、あんな感じ。

些細なことを楽しめるということは、実はかなり幸せなことではないだろうか。
そして、そんな楽しみを朝に感じること、これってとても大事なことだ。書く前までに生じていた気分の〝灰汁〟を取り除いてくれるしね。
こうして朝に初期化された気分を、読書で味付けして煮込み、夜には一日を振り返って、今日もまずまずの一日だったな、と思って眠る。
そしてまた明日、初期化された新しい自分と出会う。ひたすらその繰り返し。
でも、そんな単純なことで人生が潤うんだったら、できるだけ書いたほうがいい。そうだ、そうに決まっている。

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