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その感情は身体のどこに眠っているのか?

先日、ポエトリー・リーディングをする機会に恵まれた。

昨年にひきつづき2度目の試み。
はー、すごい体験だった!
あの体験がなんだったのか、まだちょっと言語化できない。
けれど、その体験は、わたしの身体に、たしかに、静かに、染み渡っていった。

今日書きたいのは、ポエトリー・リーディングでよむ詩を書いていたときのことだ。

わたしは、今を生きる同年代の女性が抱えているであろう、集合的無意識を書きたかった。
あなたが叶えたいと思っていることは、ほんとうにあなたの願いなのか?
ということを書いてみたかった。

詩を書く過程で、いろんな言葉を書いてみた。
今を生きる同年代の女性が持っていそうな、そしてわたしの中にもありそうな、集合的無意識。刷り込まれた価値観。

もっと美人だったら
もっとお金があったら
ちゃんと働かなくちゃ
恋愛したい
結婚したい
子どもがほしい
……などなどなどなど。

いろんな言葉を書いてみた。
書いてみた、だけではない。
やりたいことはポエトリー・リーディングなので、その書いた言葉を、声に出して言ってみた。

その、「声に出して言う」という行為に、おもしろい体験があった。

例えば、
「独身ってダメですか?」という言葉。
結婚することが善、みたいな価値観に対する怒りをこめていうなら、
丹田を意識して言ってみると、なんだかしっくりきた。
怒りは丹田に溜まっているのかな?

「子どもは?って聞かないで」という言葉なら、
胸のチャクラを閉じるような意識で言ってみると、ふむふむ、自分の表現したい感覚と近いかも?と思ったりした。
悲しみは胸に秘めているのかな?

反対に、人生のわりあい長い時間、頭の中をいつも駆け巡っている言葉
「急がなくちゃ」「みんなに合わせなくちゃ」は、
身体のどこを意識して言ったらしっくりくるのが、まったく探れなかった。
うーん?
頭は「急がなくちゃ」「みんなに合わせなくちゃ」と思っているだけで、
身体にはこの価値観は入っていないのかしらん???
いや、そんなこともなさそうだけどな。

という感じで、
言葉を「書く」ということと、「言う」ということは、
決定的になにかがちがうのだ!
という、まぁ、当たり前と言えば当たり前のことを、自身の身体を通して体験したのだった。

数年前に、エルバホームの正観さん の整体を受ける機会があった。
足のスネの外側の疲れがどうにもこうにも気になっていたのだが、
体験したことは、思いもよらないことだった。

お腹(下腹部)をさわってもらったとき、
「その扉は開けないでほしい」と、
わたしの身体の中から声がした。

自分でもどうしてこんな声が聞こえてきたのか、よくわからない。
わからないながらも、そのことをお伝えしたら、
「じゃあ、開けないでおきましょう」と言って下さった。

身体は森だ。
どこになにが秘められているのかわからない、神秘の森だ。
怒りも悲しみも、喜びも可能性も、たくさんのものが潜んでいそうだけど、
いつ、どんなタイミングでそれに出会えるのかはわからない。

あの悲しみは、
あの怒りは、
あの嘆きは、
あの喜びは、

身体のどこに眠っているのだろう?



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さとう まみ
サポート頂けると、とってもうれしいです💖 誰かに言葉を贈ること、誰かを言葉で祝福することが、わたしにとって、とても楽しく喜びを感じる瞬間です。頂いたサポートは、ぐるぐると循環させて、生きたエネルギーとして、また別の誰かに、何かに、お返ししたいと思っています。