全ての中学生以上の人に読んでほしい。『君は君の人生の主役になれ』
今回読了した『君は君の人生の主役になれ』(鳥羽和久著、ちくまプリマ―新書)はグサグサと刺さる内容で、けして滑らかに読めるものではなかった。
そもそも、ちくまプリマ―新書は、10代向けの”初めての新書”の位置づけだから、私のような40代に向けた本ではない。それでも、私の子ども時代からの違和感やモヤモヤを言語化してくれた感があり、そして、これからを生きる子どもたちの”邪魔”をしないためにも、すべての大人が一読する価値があると思った。
10代という、悩みがあふれ出る年齢の子どもたちに「あなたのその悩み、大人が押し付けた価値観に沿わないだけじゃない? それは本当にあなた自身の悩みなのですか」と語りかける本書を読んでから、大人や社会との接し方を自分で決めていければいいなと心から思った。読み終わった後、娘に「お願いだから、読んでおいて」と手渡した。
この本のすばらしさは、いろいろな視点で語らないと難しい。
だけど今回は、私をもっとも刺した箇所を取り上げたい。
ダイバーシティ&インクルージョンという言葉が、HR業界を始め、流行っている。私自身、最近は自分にとっての理想の世界を「”こうでなきゃ”の枠組みを広げて、”これも、あれも、アリ”にする」などと言っていた。
果たしてそれは、多様な逸脱を認めることを指していたのだろうか。物知り顔で「そういう人もいるよね」と言って、わかったふりをして、そしてそれも「普通」としてしまおうとしていなかったか。
多様な逸脱を認めるって、そんな簡単にできることでもないし、なんなら一生をかかってもできないかもしれなくて、それを求める姿勢で生きることが重要なのかもしれない、くらいの行為だ。
「みんな違ってみんないい」が「あなたはあなた、わたしはわたし」という個人主義的な話になってしまうと、世界が分断されてしまうように、多様性を認めるというのは「あなたは私であり、わたしはあなたでもある」という思考の先にあるのかもしれない。
ふと、フランスに行った友人が「(どっちがいいとかではなく)フランスと日本では、優しさの質が違う」と言っていたことを思い出した。
友人曰く「フランスの優しさは、一緒に社会を創っている仲間として助けてくれる優しさ、日本の優しさは、共感型の優しさ」的なことを言っていた。
これも多様性なのかもしれないけれど、私はフランス的な「同志としての優しさ」に惹かれる。いや、一概には言えないだろうけれど。
一緒に社会を創る仲間として、街に出て、人を見る。違った景色があるように感じた。