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「僕は良い子なんだ」と確信できるようになるまで、ずっと褒め続けるからね

きょうだい育児の難しさは、第一子育児のそれとはまた違ったものがある。

下の子を産んで2年半、わたしはいつもその壁に打ちのめされてきた。
どうしたら、二人とも立派に育つんだろう。どうしたら、二人とも愛していると伝わるんだろう。



2歳半の息子は叱られる時、目線をそらす。姉に対し「貸して」が言えずに取ってしまう、どうにもならない気持ちを表現できずに叩いてしまう。

そんな時に彼は注意を受ける。特に、手が出た時には容赦ない。きょうだい喧嘩であったとしても、許されない行為だからだ。

下の子の方が注意をする機会が多い。わたしはそれを気の毒に感じる。


幼い子どもはすぐに人のものを欲しがる。
それは当たり前なのだ。
年齢が上がるにつれて言葉で表現したり、順番を待ったり、「欲しい」という気持ちを我慢できたりするようになる。


でも彼には、すでに4歳半上の姉がいる。姉と同じものが欲しい、だけど貸してもらえない。そうすると年下の彼にはなす術がなく、やがて喧嘩となってしまう。

親に叱られる機会が多いという点については、保育園に通っていないというのも大きい。

上の子は0歳から保育園に通っており、彼女が息子と同様に好ましくない行動をとってしまった時には、先生方が適切な注意をしてくださった。それはきっと、親のアンテナよりは緩く、計算されたタイミングでなされていた。

翻って、息子は週3のナーサリー通い以外は、1日中わたしとベッタリである。

バンコクは暑い。公園が少ないので、わたしと一緒の日は、おもちゃがたくさん置いてあるキッズカフェに行くことが多い。

そこでわたしは、気を張り詰めている。息子が駄々をこねないか。おもちゃを取られてしまったときに、無言で取り返しやしないか。



上の子と下の子は、ちがう。男女の差なのか、個性の差なのか。
それとも上の子のときは、児童館のような、子どもが集まるようなところに連れて行かなかったから、親に経験がないだけなのか。

下の子はすごくいい子なんだけど、どうしても、おもちゃを取られてしまった(と彼が感じる)ときに「ぼくがつかってた!」と主張してしまう。

言葉で返してもらえなかったら、実力行使に出てしまう。そしてわたしはそのたび、同じ言葉を繰り返す。

「少しは貸してあげなさい」
「みんなで遊ぶものでしょう」
「最後まで言葉で言いなさい」


これは彼への言葉なのか、それとも、彼が「しつけのなってない親に育てられた憎たらしい子」と思われぬよう、相手方の親御さんに向けて放たれた言葉なのか。



うまく入眠できず、お昼寝をし損ねた日があった。
彼は限界を迎え、お風呂に入りたくないと盛大に泣き散らかした。

以前のわたしなら、堪忍袋の緒が切れて怒鳴っていただろうけど、わたしは大人だから、変わったのだ。

喉元まででかかった言葉をぐっと飲み込み、
「お風呂に入りたくないんだね。じゃあ、花ちゃん(上の子)と入ってくるから、太郎くん(下の子)は気がすんだら来てね。
と言い残し、上の子とシャワーを浴びた。

待っている時間はない、これが我が家なのだ。

少ししたら、諦観したのか、彼はしゃくりあげながら、お風呂場にきた。泣きはらした顔で、ようやく「たーくんも おふろはいる」とだけ言って。



その晩、息子を寝かしつけながら、考えた。

最近、息子との関係が良くない気がする。
このまま、自分に「僕はダメな子だ」というラベリングをしてしまったらどうしよう。
この関係を、変えたい。

わたしはある行動に出た。
それは、上の子を育てているときからのわたしの常套手段。あえて、子どもを褒めまくるのだ。

「太郎くんは、優しい子だね。いい子だね。太郎くんは、今日、こういうところが良かったよね。ママはうれしかったよ。ママの宝物だよ。ありがとうね。」

すると、どうだろう。息子は寝たふりをしつつも、我慢できなかったのか、破顔した。声をかけ続ける。目をぎゅっとつぶって、粒だった小さな歯をむき出しにして、静かに笑っている。

ああ……。

うれしいんだね。本当は、こう言ってほしかったんだね。
こんな、何度でも言える「言葉」をもらうだけで、そんなに笑っちゃうくらい、うれしいんだね。

ほんとうは、良い子でいたいんだよね。叱られたくなんかないよね。
僕はいい子だ、僕は役に立つ子だ、そう思っていたいよね。

これを書いているいまも、あの時の息子の笑みを思い出して、胸がくるしくなる。
子どもはみんな、かわいい。いい子だ。神様からの預かりものだ。

純粋無垢で、自分がいい子であることを信じて疑わない。自分が悪い子だなんて、信じられない、耐えられない。

なのに、どうして大人は怒るんだろう。いつも困った顔をしているんだろう。
もしかして、僕はいい子なんかじゃないのかもしれない。
小さな胸のうちで震える自我をおもうと、切ない。


わたしは、決めた。彼の行為、直したほうが良い習慣については、毅然と伝える。その行為、その事実のみに重点をおいて。

だけど、わたしは信じ続ける。君は、ほんとうに、良い子なのだと。君がお腹にいることがわかったとき、どれほど嬉しかったか。生まれてから今までずっと、笑顔に支えられてきた。毎朝「ママの分の納豆も持っていく」と、冷蔵庫を開けっぱなしにして、わたしの朝食を用意してくれるやさしさ。知ってる、わかってる。ね?

だから、君が「僕はやっぱりいい子なんだ!」と確信して、いつでも心の中はその笑顔でいられるように、ママはずっと、褒め続けるからね。



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まみ┆元管理職、キャリアブレイク中
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