9月16日 ソクラテスと「死」。
自らを哲学の巫女、と称された(その呼び名は確か学生時代に師匠筋にあたる方により評されたものを、ご自身が気に入って使われていたと理解している)池田晶子さんは、その著書で、巫女の口ならぬ筆で、生き生きとソクラテスを現出させて見せた。
プラトンが、その師ソクラテスをその文章で描いたように、そしてその姿は魂はまさにソクラテスであったかもしれないが、その魂はプラトンに映ったプラトンによるソクラテスであったのだ。
そのひそみに習って、池田晶子さんは池田さんの魂に映ったソクラテスの魂をこの世に、文章という蘇生術で、よみがえらせたわけだ。
池田さんは同じく敬愛する小林秀雄の筆をひきついで、融合体にて「新・考えるヒント」という名著も著わされている。まさに巫女、その口から、いや筆から、神やイデアや先人の魂の声が、溢れ出てくるのだ。
読者は池田さんを通して、池田さんの魂以外に、ソクラテスと、小林秀雄ととの魂にも触れる。そのソクラテスはプラトンの筆、という魂を経ているがため、あるいはプラトンの魂にも文章で触れている、ともいえるのだろう。
楽しい、というか、ありがたい入子構造である。マトリューシカは同じ外見でサイズが違うものが内部に居るのだが、魂はあるいは似た構図でわれわれに在るのかもしれない。
小林や、ソクラテスの魂とはなんであろう。そして池田晶子さんの魂とはなんであろう。
それはやはりイデアであり、イデア界であり、天使界であり、そして一としての神界、世界がすなわち各位の魂そのものと合一である世界であろう、というのが、現在の私の感覚だ。
そこにはなんら境界はなく、なんら大小もなく、同一のみで差異はなく、含むものは含まれる関係にあるのだ。
まあ、書いていて「なんのこっちゃ」という感想以外は、湧いてこないのですがー(笑)。
(いやあ、妄言妄語、というやつですね。すみません~)