12.5 時と人生。片山廣子句集を見ながら考えた。
先週は1週間トレーニングができなかった。
今朝の体重は65.3kg、体脂肪は11%。
思ったより体重が低いのだが、運動切れだと体脂肪はこんな感じ。
思うに我が身体の中で、「運動したら私は筋肉、運動しなかったら私は脂肪」と思っている部位や部分があるに違いない。
その子(?)の本質は果たしてどちらか。筋肉?脂肪??
自身の体であってもわからないことだらけである。
先週はお世話になったかたの通夜に急遽参列させていただいた。翌日ご家族からお電話を頂いた。当方東京から参上したので、お気を遣わせたようだ。申しわけなかったが、故人であればそうしたと思う、とおっしゃる奥様の言葉が深く胸に残った。これも故人の計らいであろうか。
そして週半ば水曜にコロナワクチン接種。住民票を変えていないので、ここ丸の内の自衛隊大規模接種場で受種した。旧官舎を会場に利用している。やはり官舎というのは同じような香りがする。どちらかというと古い学校的な。
本当は週末に受けたかったが、当然皆さんそう思うわけで予約が取れない。あきらめて週半ばで受けたが、当日夜は目がさえて眠れず、翌日は体調ぼろぼろであった。普段楽勝である階段上りができない。体が衰えることの恐怖を感じた。
翌日夜から、体調が戻ってきた。体調が戻ることのうれしさと、その脆さをも感じた。
時がない、ということと、神がいない(もともと)という考えは近似あるいは同根のものだろう。時がある、とは永遠が存在する、いや、してほしい、とする心の願望があり、願望があるところ、弱さあるいは欠乏感がある。
つまりは「我が人生に意味があってほしい」
という弱さである。
だが、池田晶子さんは喝破された。真実のみを語る巫女(シュビラ)としての口で。生まれることは奇跡的なことではあるが意味はない。生まれたからにはただ生きるしかない、と。
(個人的理解です)
万物が流転する、とヘラクレイトスは言った。そのことはつまり「永遠=固定はない」ということだ。そこに立脚すべきなのか、すべてにおいて。
神は死んだ。
解体(デリダ)
哲学とは基本考えずともよいものをひねくり回す好事家の暇つぶしだ、と子供のころにはなんとなく思っていた。何故そう思ったのかはわからないが、弱いものとしての子供は、時代の空気を読んで自身の答えを出す。なんとなくだが、世界が、日本がそう思っていたのではないか。難しいことを考える暇があったら、まずは生きるために稼ぐべし。そういう空気が今もある。
詩が読まれなくなった、という。詩を読むには魂の余裕が必要だ。そして希求する心も必要だ。
昨日片山廣子の第2句集、「野に住みて」を購入した。廣子が生きていた時代、自らの句集を編もう、と思った理由はなんだろうか。あれほどの歌人が、人生で2冊しか出していない。
昭和16年から18年、娘の聡子が仙台にいる。1878年生まれの廣子であるから昭和16年(1941年)には63歳くらいであろうか。シングやダンセイニの翻訳からも感じられる廣子の浪漫は、その時の胸中でどのようであっただろうか。
私は思う。微塵も崩れず、むしろ深化していた。
廣子の生き方をみるに、そのようでしかない、と感じる。
魂が触れ合った芥川との出会い、その弟子堀辰雄と廣子、そして娘の聡子との関係。
外野の私が邪推する必要はないのだろう。
廣子の心はいつも清冽で凄烈でもあった、と
句集を読んで感じたのだ。
(行間、各句が配された紙面を眺めていると、そのような思いが湧いてきました。)
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。