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2月13日 最近ほとんど本を読んでない。すっと読める本と、なかなか進まない本について。小林秀雄と池田晶子。

日々の暮らしの中でほとんど本を読んでいない。

以前、森博嗣さんの本を読んでいて、

森さんが助教授をされていた名古屋大学の工学部の新入生に、村上春樹の本を読んだことがある人の数を尋ねたら、うろ覚えだが100人中3人程度であった、というような記述があった(数字はあくまでうろ覚えのイメージ)。

村上春樹氏の文章や考え方が好きである私としては意外な感じはもちろんあったが、一方で偏見かもしれないが、工学部の皆さんには村上春樹は親和性は高くないかも、と思った部分もある(すみません)。

だがいわゆる「読書」というものがあまりできない、ということについて、本好きを称して、古本の街神保町に住んでいる身ではあるが、自身がほとんど本を読めていないことに気づいた。

理由の一つに「通勤が徒歩になった」があるだろう。

基本電車通勤を長く続けていたが、行きかえりの電車でスマホも見るが本も読んできた。

さらに前の職場では、エルゴメータがあったので、昼休みに20分漕ぐことを日課としていたが、うち5分をポケモンGO,うち5分をアマゾンプライム(スパイ映画がお気に入り)、のこり10分を読書、というルーティーンとしていた。ほぼ毎日、会社にいる日は。

するとジワリとだが本が読めるのだ。

高校生のころは「一日に数冊も本が読める自分」を無駄に誇って(誰に??)いたが、大半はさっと読める小説であった。

今は1行読んでは立ち止まり、1行書写しては考え、ということが必要な井筒俊彦や内田樹のレヴィナスなどを読んでいるため、全く本が進まない。

この「読みが進まない」という体験をはじめて得たのは、高校生の時だろうか、小林秀雄を初めて読んだ時のような気がする。

なんというか、異質の体験であった。一読、文章に込められた意味が多すぎて、読んですぐに頭に定着しないのだ。

驚いた。それまでは読めば基本すぐ意味が頭に沸いたからだ。

歯が立たなくて撤退した。だが、のちに池田晶子さんの本を読んでいて、再び小林秀雄に向き合うことになった。

池田さんの本が好きになったのは、難解な哲学的なことがらを、わかりやすく教えてくださるからだ。これは本当に、「乾いた土に水が染み込む」感覚であった。

その池田さんが最も敬愛する作家が小林秀雄であった。

今朝読むと元気が出る勝間和代さんのブログを見ていたら、あたらしいKINDLEの話があった。10万円、ペン付属、画面がデカい。

AMAZONで見てみたが、確かにいい。だがまてよ?KINDLE読書を自分は毎日ほぼ0分実行している?

つまり、読めていない。


ということで、立ち止まって考えている。

そもそも今の生活で、電車通勤も昼のエルゴメーターもない。

自転車はなく、主に歩きと階段上りの生活だ。

そして本を電子で購入し、歩きながら聞く、という事も考えられるが、前にFIREを買って行ったが、あまりに頻繁に切れるのでちょっと嫌になった。

そして、日々の生活で、KINDLEアンリミテッドででは本を読むかというと、会社に行き、昼は散歩、夜はトレーニングか版画、という日々であればあまり読めそうもない。

会社でKINDLEは読めないからだ。

ということで、このことは一つのテーマとし、どのように新しい知識を得てゆくか、ということを考えることにする。

一つの可能性は、国会図書館に登録し、本を借りる、ということだが、その点を今後検討する。
(借りても読まなくてもいい、ということで)









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豆象屋
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