3月2日#日記 サイゼリヤとサイゼリアと略語の「選民感」。
サイゼリヤが大好きだ。
好きなのだが、サイゼリヤははじめ「サイゼリア」だと思っていた。
これは日本語の語感として、個人的には「ヤ」というのは若干ダサい語感があり、一方では「ア」は洗練された印象があると勝手に思っていることも理由の一つだ。
(例:「エヤコン」と「エアコン」。昔は「エヤコン」が主でした。「エヤー」と「エアー」ですね)
だいたいイタリアレストランはおしゃれで意味がわからない名前がついているものだ、という思い込みがある。「ヤ」が付いていると、日本伝統の定食屋のようなイメージとなる。勢いイタリアンには不利ではないか、という印象がある。
だが調べてみるとサイゼリヤは結構古い創業であり、その時代であればさもありなん、というで感想である。
まあ、プライベートカンパニーの屋号は、他人の名前と同じなので、大きなお世話なんですけどね。
名前でひっかかったが、私は基本、略するのはあまり好きではない。この感覚はなんだろうか。本来の名前を知らずに、略語で初めてしった概念などがあると、「自分は周回遅れだ。」という感覚がわがマルチタスクのなかに生まれるからかもしれない。
また、略語というのは、その略の元ネタがわからない者たちを無意識に差別し選別する、という仕組みもあると思う。この選民感も嫌なところだ。
まあ、普段はそんなことはあまり感じずに略語を使ってはいるのだが。
また、略語が発する「微妙に下品な感じを楽しむ」という要素も見逃せない。たとえば「マクド」。敢えてお洒落ではない語感を選択すること。こういう楽しみも日常生活にはある。
濁音が、下品なのだ。そして濁音を発して、唇や口内が震える感じが、JAZZYなのだ(意味わかりませんね)。下流を楽しむ、というところか。
それでいけばサイゼリヤの略語、「サイゼ」もなかなかいい。もちろん最後の言葉「ゼ」だ。
やるぜ!
といったときの高揚感は、この語尾のビブラートが醸し出す感覚が、0.01%貢献している(個人の感想です)。
サイゼ、いくぜ!
などど言ってみよう。なんだか乗ってくるではありませんか(個人の感想です)。
まあ冗談はさておいて、やはり名前というものは重要だ。本来どのようにつけてもいいのである。上手く、付ければ、それだけで事業の成功率10%位はアップするだろう。
個人の名前であれば、時代による名前の流行は、120歳まで人間が生きるようになるとだいぶ問題になるでしょうね。。。
(サイゼは最高ですね。そして略してしまえば、サイゼリヤかサイゼリアか、などと悩む必要もありませんしね(笑))