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1月25日 神とは手っ取り早い自己規律を得られることとニアリーイコールだったような気がするが、ニーチェがいうようにもう死んだのだろうか。

先週は久々に1週間全部出張、という日々を過ごした。

やはり日々のスケジュールに沿って過ごすのはある意味楽である。曜日毎のルーティンもまあだいたい決まっている。

月曜はトレセンだ。土日の運動不足(歩くことはあるが)とストレスを解消しよう、という内圧が高まっている。これをぶつけるのがいい感じである。昨日も行った(これ書いているのは火曜)が、6時半に入り、8時20分位の退出であったので、2時間弱。いつもは1時間ちょっとで出ていたが、最近はぶら下がり足上げをすこし多めにやっている。腹回りのタプ付きが気になるのだ。

そして新たにマッサージマシンを使っている。これは足から振動が伝わるタイプだが、ここに座ってやっている。なかなかいい感じだ。これが多分10分位。その結果で2時間弱の滞在時間となる。

まあ、インターバルを入れているので、これを週2回やっても実質稼働時間は2時間以内だろう。週に2時間以上鍛えると、筋肉はつくが体には負担がかかる、という記事をどこかで読み、あまり長時間は滞在せず、できるだけ高重量(自分比)を短時間でやるようにしているのだ、

火曜は銅版画教室に行くことが多い。できれば週に2回は行きたい。CLOSE時間がコロナで8時になったので、作業時間は減った。前は9時であったのだ。だがコロナなので致し方ないだろう。

水曜は基本FREE,その週でいろいろやる。

木曜はトレーニング。週2回、回復期を入れてこれくらいがいい感じだ。

金曜はFREEあるいは帰宅。

こんな感じである。

出張すると昼夜食事が外食になり、勢い体重も増えがちだ。今日は67キロ。BMIは21(だったかな)で悪くはないが、気を抜くとすぐ増えるのでできるだけ66キロ以下でキープしたいと思っている。体脂肪率は昨日トレーニングをしたので、8.4%であった。まあ、同じ体重でも日によって12%くらいになるときがある。

ただ、外食、というのはある意味栄養補給よりエンタテイメント、という面が強いようだ。特にいろいろ評判があると、ピルグリムのようにその味を訪ねる巡礼となる。すごろく的楽しさといおうか。いまは各種SNSがあるので、写真レポートも容易である。そういう点では半公開行動記録日記、という感じで面白くもある。

まあ、ほとんど部屋では白米を炊かないので、そとで定食で食べる程度である。


神とは自身に効果的かつある意味安易に規律を取りれる機能があり、社会をもまた律する機能があるため、これまで便利に使われてきた。

アクセル・ムンテ著、サン・ミケーレ物語(久保文訳)を読んだが、いまから少し前のイタリアの田舎での熱狂的なカトリックの祭りの記載が面白かった。筆のうまさもあろうが、これは楽しそうだ、自分も体感したいものだ、と思わせるものであった。

そしてそれはいわゆる阿波おどりや、さまざまな行列(名古屋でいけば秀吉とか)と、奇妙にシンクロしているものであった。

その土地、国にゆかりの深い人物を祭る、というものであるようだ。カトリックであれば、もちろんイエスはその主要人物?であるが、どちらかというと聖人、その土地に縁のある聖人のほうが人気がある、という記載があり、面白く思った。

秀吉や家康、信長に加え、家臣にも人気がある、というような図であろうか。

私自身はあまりパレードを見たり、参加したり、という経験がない。これは私の両親があまり人混みが好きではなかった、というようなことも関係しているだろう。

家族のハビット、というものはあるだろう。似たものでは野球の応援だろうか。選手は身近な地元のヒーローとなる。球場での応援は座ったパレードへの参加に、似ている。

神に祈ること、日曜ごとに教会に行くこと。その中で同じ人に会い、さまざまな調整や依頼や苦情の共有が起こるのだろう。

そういう「世俗の流れを良くする」作用は、たぶんゴーダマ・シッタルダやイエスがその心情をひとに伝えはじめた際には、全く考えていなかったと思う。各宗教の変化と変遷を知れば、両人はあるいは驚くのかもしれない。

自身が生み出したものは、生み出し世間に出たあとは、自身のものではなくなる。

例えばマンガの作者が、自作に納得せず後年修正することで、「作者が勝手に作品を触るな」という反応を得て素朴に驚いた、ということなども思い出す。
(私にはわかりませんが、自身が生んで分身のように感じる「子供」が自分の思い通りにならない、というのとも似てますね)





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豆象屋
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