「妄想力」って大豆(大事)かもね
僕のデスクの横にある、棚。その上にひっそりおいてあった一冊の緑色の冊子。表紙には「まめ乃家(いえ)」と描かています。
これは何かといいますと、全6ページしかないのですが、いわば「僕の頭の中の妄想集」です。2008年4月15日と記入されていたので、14年前に作ったものになります。「こんな古民家豆富カフェがあったらいいな〜」、「僕だったらこんな豆富屋さんやってみたいな〜」という頭の中にあった妄想を絞り出して、雑誌やネットから、それに近い写真をかき集め、切り貼りして作っただけのものです。
当時、豆腐屋さんがどんどん廃業していく中、僕自身、『もっと豆腐業界を盛り上げられるようになりたい。大豆問屋として、お豆腐屋さんにいい提案ができる自分になりたい。新規で豆腐屋さんをやりたいと思ってくれる人を支援したい』などの思いがありました。
また、豆腐屋さんがいなくなったら、今まで3代に渡って続けてきた大豆問屋「丸金」の存在価値そのものがなくなってしまいます。
とにかく、知識や能力を得て自分の力にして、どうにか「丸金」を盛り立てていかなくては。そう思い、もがいていた頃だと思います。
そんな頃に通いはじめたのは「フードコーディネーター養成講座」でした。その授業の一環で作ったもの。それがこの冊子、「まめ乃家(いえ)」だったんですね。
細かいことかもしれませんが当初、「まめ乃家(や)」は「まめ乃家(いえ)」と呼んでしました。
まめ屋の息子である僕としては、「〇〇屋」というよりももっと身近な「〇〇家」というイメージがあったからです。それに古民家ですし。
そう、これは「家」である。「家」のように居心地よく、暖かく、ほっこり落ち着いたお店がいい。
そう思って、「まめ乃家(いえ)」と言ってたわけです。
ただ、今は、"親しみやすさ”や"覚えれやすさ"も考慮した挙句、「まめ乃家(や)~mamenoya~」と呼ぶようになったんですけどね。
そんな1冊の冊子「まめ乃家」を作ってから14年後、本当に「まめ乃家」という実店舗づくりに向かって走り出すことになるとは、僕自身、思いもよらなかったわけです。
今ではマルシェの仲間からも「まめ乃家さ〜ん」って呼ばれたりするようになりましたからね。人生、面白いもんです。
”ターニングポイント”は突然やってくる
2019年の、ちょうど今くらいの時期のことです。仕事の相談をしていたとある先生の前に、この僕の妄想短編集「まめ乃家(いえ)」を差し出し、こう切り出しました。
「先生~、こんな豆腐屋さんがあれば絶対いいと思ってるんですけど、どう思います?誰かやってくれる豆腐屋さん現れないですかね~?」って。なんとなーくお見せしたんです。
そしたら、先生。
「まさにこれでいいじゃないですか!!丸金さんでこれやったほうがいいよ!!」って。そうおっしゃいまして。
僕は、「うぇっ?これうちでやるんですか?いやいや待って待って、うちはお豆腐屋さんじゃないですから~。飲食店でもないし。あくまでもお豆腐屋さんがやってくれたら素敵だな〜と思ってお見せしたまでであって。まー、いつか自分たちでもやれたらいいとは思ってましたけど~、今はそれどころじゃないですよ~」・・・みたいに急にドギマギ。そんな感じだったと思います。
とにかく、毎年何軒も廃業していってしまうお豆腐屋さんに『どう繁盛してもらうか』、『どう良くなってもらうか』だけを考え続けてきた僕にとって、僕ら自身が「豆腐屋」、もしくは「豆腐カフェ」をやるというのは、急には受け入れづらかったことを覚えています。
そう、「いつかは自分でやってみたい。いつかはね~。その前にやらなきゃいけないことがたくさんあるから」・・・って。
でも、「”いつか”っていっていても、いつやんのよ。自分でやってみるという選択肢を外していたけど、その”いつか”は自分で覚悟して行動に移さない限りやってこないよ」っていう思いがふつふつと湧いてきていることも理解してました。
誰しもが日々の生活の中、頭の中で格闘するもう一人の自分。
彼との、密かな討論会が始まっておりました。
大豆問屋という仕事上、『お豆腐屋さんの裏方で、黒子のように働き、豆腐屋さんを支えるのが僕らのミッション』である。そんな風に、いつの間にか「大豆問屋とはこういうものだ」ということを自分たち自身で決めつけてしまい、本当に自分たちが叶えたい理想や夢を実現したい、もっともっと自分たちが価値があると信じている仕事をしてもいいんだ。
そんな極当然のようなことにその日が来るまで、考えてこなかった。
いや、考えてはいたんだけど、見えないように”フタ”をしてたのかもしれませんね。。
結局、大豆問屋として悶々とした日々を打ち破るきっかけになったのは、自分の中にいる、もう一人の本当の自分が作った「妄想」が作ったもの。
この過去に作った「まめ乃家」という存在が、僕らの新たな道を切り開く存在になろうとは、その時も思いもしなかったのでした。
つづく
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