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時には古傷が痛むことだってある
こんにちは、まめこです。今日は、個人的な話になりますが、わたしの心の奥にある古傷について書きたいと思います。
子どもの不登校が教えてくれた、自分の生きづらさ
先日、あることがきっかけで久しぶりに古傷が疼いてしまいました。皆さんにも、そのような経験はありませんか。
わたしがこの古傷に気づいたのは、子どもの不登校がきっかけでした。子どもの不登校を通して、自分の生きづらさに気づいたのです。
母との関係が、わたしの生きづらさの根源にあったことに、それまで全く気づいていませんでした。
必死の努力でも空回り
当初わたしは、子どもを何とかしようと必死でした。子どもにどうやって働きかけたらいいのかわからず、藁にもすがる思いで、ネットで調べてはカウンセリングを受けたり、民間のカウンセリング資格を取得したりしました。
その後、自分の生きづらさに気づいてからは、通常のカウンセリング、不登校カウンセリング、母娘問題カウンセリング、HSP関連講座、ホメオパシー、キネシオロジー、ロルフィング、ヒプノセラピー、野口式整体、数秘術、算命学から鳥占いまで、振り返ってみて自分でも驚くほどありとあらゆることを試しました(遠い目、、、)。
HSCやHSPについて知ったのもこの頃です。
そうこうしているうちに月日が流れ、だんだんと「生きていればどうにかなるだろう」という境地に達しました。
子どもに干渉すればするほど、お互いのエネルギーが消耗していくことに気づいたのです。
関係修復への小さな一歩
子どもに関しては、もはやわたしにできることはご飯を作ることくらいだと悟りました。子どもは食べることも料理も好きだったので、一緒に料理をしたり、美味しいお店に一緒に出掛けたりして楽しみました。
これは、子どもとの関係を少しずつ修復する良い機会にもなりました。
そんな時、久しぶりにテレビで見たあるグループにどハマりして、コンサートや舞台に通う日々が始まりました。
この趣味は今も同じ(いやそれ以上?)熱量で継続中です。心配性の母の重いエネルギーから解放された子どもは、やがてエネルギーが溜まり、動き出しました。
愛着トラウマとの向き合い
このような中で、ようやく信頼できるカウンセラーさんに出会いました。カウンセリングを重ねるうちに、わたしの中にある「複雑性愛着トラウマ」の問題が見えてきました。
難しい言葉ですが、要するに幼少期からの「安心感の欠如」のことです。
カウンセリングや本を通じて、自律神経を整えることの大切さも学びました。こんな生きづらさはもう手放したいと切実に思っていたので、できることはなんでも試してみて、自分に合った方法を取り入れて、だいぶ癒しが進んで楽になった実感がありました。
子どものことも、自分のことも、大丈夫、どうにかなると思えるようになりました。遠回りした長い道のりでした。
古傷との付き合い方
でも今でも時折、何かのきっかけで古傷が疼くことがあります。そんな時は、自分だけの空間で愛犬と静かに過ごしたり、近所のハイキングコースを歩いたりすることで、少しずつ心が落ち着いていきます。
心のメンテナンスのために、今でも定期的にカウンセリングをお願いしています。友だちでも家族でもない相談先があることは、私にとって心強いセーフティネットになっています。
自立と甘えることの大切さ
わたしはどちらかと言えば面倒見がよいのですが、甘えることはとても苦手でした。でも、自立するとは、何事も一人で解決するのではなく、人に上手に頼ったり甘えたりできることだと学びました。
年齢を重ねてようやくそれが少しずつできるようになってきました。
振り返ると、自分の生きづらさに無自覚のまま、40年以上生きてしまったので、それをリリースするにも時間もエネルギーもかかりました。
でも、このプロセスはわたしにとって必要なものだったのかもしれません。
わたしの経験が、ほんの少しでも、身軽に、自分らしく生きていくお役に立てば嬉しいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も良い一日でありますように🙏