横浜トリエンナーレ2020ー誰もが参加できる進行形の物語。残光。与えられるより、与えあい響きあうことで、僕らは「光の破片をつかまえて」困難をのりこえられる。
急速に世の中が変わり思わぬ迎え方の新年度になりましたね。
■まさにVUCA時代
より切実に個人や世の中の在りかたが問われ、いままでとは根本的に思考や行動を切り替える必要のある状況になってきました。
「VUCAって何?」「不安すぎて精神的にまいっている・・・」という方にお勧めの記事が以下です。サクッと読めて、ちょっとすっきりします。
「2017年は、ビジョンを描き(V)、自らを教育し(E)、対話を重ね(D)、行動(A)を起こす年」と提言されています。
■予定されているアートの祭典
オリンピックは延期になっていしまいましたが、アートの祭典も並行して複数予定されています。昨日六本木アートナイトの延期が決まったように、これらも同じく、開催はちょっと怪しい雰囲気になってきました。
予定のうえでは、今年は北から南の各地でどこも大規模。東京、横浜、埼玉、千葉、札幌、石川、長野・・・
ざっくりチェックは下記リンクがおすすめです。
行けるものなら全部行きたい!
この記事では多数開催されるイベントの中でも、特にタイムリーな
「横浜トリエンナーレ2020 光の破片をつかまえる」
にスポットをあてていきたいと思います。
■なにがタイムリーか? 展示コンセプト
現代アートでは「同時代性」が重要とされています。簡単にいうと、今ここで表される必然性のあるもの。という概念です。
今回の横浜トリエンナーレでは、VUCA時代をどう生きていくか?という問いのもと、多様性やリベラルアーツなど多方面から時代を読み解くことを試みています。冒頭のリンク記事に近い考え方かもしれません。
時代と社会を考えるきっかけ、問いかけを発し、展示の認知、興味から様々な人が関わり議論が起こる。それを通して、豊かな思想と思考の世界があらわれる。
という展示の世界観が進行していくコンセプトには、強い同時代性・タイムリーさを感じます。
ディレクターの ラクス・メディア・コレクティヴ アイディアマン、リアリスト、本の虫の3人組。
■時代をどう読み解くか? ソースブックとキーワードたち。サブタイトルの由来を考える。
今回は独特な展示の試みとして、
つくる側みる側問わず、関わる全ての人々が、主催者側から共有された思考のヒント「ソースブック」と「キーワード」でヴィジョンを共有し、展示に参加するかたちをとります。
その結果、展示を通して、様々な方向からの個々の光が響きあったものが、混ざり合って生まれるのが下記のキーワードの中の「茂み」で、
その中で光る希望のような何かが「光の破片」であり、それをわたしたちがどう受け止め、とらえるかが「つかまえる」こと。
という提言がサブタイトルに込められているのではないかと思います。
ソースとして提示されているキーワードは、
「独学すること」「ケア」「世界を把握し自ら光を放つ」
「ホワイトノイズ」「ルミナス・ケア」「茂み」「明滅する光」
「反百科事典」「漁師のアドバイス」「分割」「有毒な光」
「翻訳不可能な言葉ーオントシラ」です。
それではこれらを紐解いていきましょう。
ソースブック(原典)は、以下サムネイルより、誰でも無料で見ることができます。
■思考のヒント「ソースブック」とは?
公式の説明を引用すると、
ーーー「ソース」とは時代や文化的背景の異なる実在の人物の生き方や考え方を例示する資料であり、会話のネタや思考の素材となるもの。
『ソースブック』には、その素材となる資料を5つ収めています。ーーー
とあります。公式ページには不確かな旅路を進むための力、といったような表現もみられます。
それでは、その5つについて具体的にみていきましょう。
■独学 環境にとらわれず主体性を持つ豊かさ。
毎日あほうだんす ―寿町の日雇い哲学者 西川紀光の世界ー/トム・ギル
文化人類学者トム・ギルによる著。日本3大ドヤ街として名高い横浜寿町で哲学する日雇い労働者「プロレタリアの賢者にして造船所の哲学者」西川紀光の観察記。
「あほうだんす」って何?と思いますよね?それは通常ドヤ街で暮らす人の口から出てくるとは思われないような自然科学の用語です。
西川さんが「今日明日生きられるといい、それで精一杯。毎日あほうだんす、まったなし」と言ったのをうけて「あほ」と「ダンス」のことだと思い「確かに現代社会は阿呆の踊りみたいなものだね」と綴った。後日「あほうダンスではなく、アフォーダンスだ」と訂正された。ポストモダーン思想に弱い私には、初耳の言葉だった。 ――トム・ギル
西川さんは無料の図書館で、独学で哲学や社会学をはじめ文芸や文化まで多岐にわたる莫大な知見を得て、複雑かつ明快に世界を把握していたようです。
その豊かさや自由なありかたには学ぶことが多そうです。西川さんの預言者のような独特な言い回しがクセになる本です。
■発光 誰もが観察する目線という「自ら放つ光」をもつ
あるベンガル婦人の日本訪問記/ホリプロバ・タケダ
行商人の日本人と結婚し、来日することになった異邦人による手記です。新しい世界の一員になろうと自ら学ぶ生活。異国の女性の目線という光に照らし出されるように私たちの日常が描写されています。
彼女の目からは様々なことが衝撃で、全く違う価値観から何かを感じ、学んでいたようです。いくつかポイントを挙げると、
・みな礼儀正しく、相手を尊重して接する。
・女性は読み書きができ、働ける社会的に認められた存在。
・自分を高めるために、卑しいとされる仕事も厭わない姿勢。 等。
横浜トリエンナーレのサブタイトルの由来でも述べたように、こういった様々な個の視点が、明滅する光となって何かを発見しうることをあらわしているような供述です。
■友情 人生を豊かにする他者との関わり
友情のセノグラフィ/スヴェトラーナ・ボイム
米ハーバード/比較文学者スヴェトラーナ・ボイム氏の友情についての著書。
ソースブック上ではそんなに文字数はないのですが、難解な単語が並んでいてきちんと読み解くにはかなり時間がかかりそうなソースです。
しかも、公式ページの解説はほとんどなく、googleで探してもこれについて解説した文献も見当たらないので、もしかすると羅列された単語からイメージを拾って増幅していくのがいい向き合い方なのかもしれません。
セノグラフィ=舞台美術 ということは、友情がひきたつシチュエーション、雰囲気のようなことなのかなと思いますが、どうでしょうか?
ソースより引用すると
極限の状況においては、光明は哲学的諸概念からではなく、男女が光をともし、与えられたわずかな時間を越えて輝く「不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光」から発するのだと考えていた。「男女がその生まれの如何にかかわらず、互いの閃光を反映しあう」この光明の空間は、私たちが住む現れの世界に光を放つ人間らしさと友情からなる空間である。友情は閾を冒険する領域へと私たち自身を拡張するものなのである。
友情とは、すべてを明瞭あるいは不明瞭にすることではなく、影と共謀し、戯れることなのである。その目的は啓蒙ではなく光輝であり、盲目的な真実を探求することではなく、不意に出会う明瞭さと誠実さを探求することである。
とあるので、個人的には、立した人と人との対話や心の動きの機微が、陰影を生み出しながらつながりを強め、物語をうみ拡張されていき、その作用で人生も彩られていく。というような印象を受けました。
キーワードでいうと「ケア」「分断」「明滅する光」「ホワイトノイズ」あたりが関係してくるのでしょうか・・・
■反百科事典 アナログ時代の知のありよう
『ニュジューム・アル・ウルーム』図版
1570年、ビージャープル王国のある写字生が意欲的かつ非常に複合的で贅沢な図版を施した占星学と星の魔術に関する書物の完成を試みた。
と、いきなり世界観がファンタジックになってきましたが、ざっくりいうと
まだ化学や医学、占いや預言、神話や美術などが細分化される前に編纂された、生活の知恵なんかがいっしょくたに編集された百科事典のような智の書。
といったところだと思います。その編纂のモチベーションは、私利私欲のためではなく、自分以外の何か、友人を励ますため とも、貴族の教育のため とも言われています。
引用すると
人々が私に懇願し折り目正しい要請をした結果、これ以上の完成度はないと思われる水準のものに達した。そこで、卑しく慎み深い私は、人々の求めに応え、高貴なるものに従ったのである。諸々の薬が人々の命をケアするように。
とあります。そして目次は
馬象、詩、音楽、医術、性、エクスタシー、天使、造園、錬金術、調理、狩猟、レスリング、武器、呪文、奇跡、香水、宗派思考70種の分類、ヨガ、スパイ、宝石、算数、語学、動物肉の質etc・・・ 詳細は以下。
非常に知的好奇心をそそられる内容ですが、その多くは現存していないそうです。いったん再編して目次どおりに現代版のリメイクをしても十分面白そうな内容ですよね。
■漁師のアドバイス、有毒な光、分割
光に導かれて―クラゲ、GFP、そして思いがけぬノーベル賞への道 下村脩の研究レポート
氷川丸最後の乗客であり、オワンクラゲの「緑色蛍光タンパク質の発見とその応用」ノーベル賞者。生物学者。
冒頭を引用します。
ーーーたった1日先の運命さえも予想できないような不安定な状況で、学校での勉強をどうするかなんて誰も考えていなかったのだろう。だから私は毎日、稼働し始める前の工場に行った。そしてもし何もやることが見つからなかったら、と言ってもそんなことは頻繁にあったが、よく近くのサツマイモ畑の中で寝転がって、大きな隊形を組んだB-29爆撃機の群が東に向かって、多良岳のはるか上空を飛んでいくのを見ていた。----
そこからほどなく原爆投下、その発光の忌まわしい記憶の因果で、オワンクラゲという発光生物の研究者への道を歩みます。
そこで得た教訓。
・「生物学者、海洋学者、漁師……のアドバイスの協力を求めることを勧める」 膨大な研究のための知見の収集と、サンプルの確保のため、関係者各位の関係構築の重要さを体感したようです。
そして次の研究成果。
・サンゴやオワンクラゲは毒性に反応して発光すること。それが一般的な生物の営みであること。逆説的に言えば、発光するためには毒が必要。
・一方、人間社会で、時間・権力・財をもつ人にとってこういった営み、毒物の類は扱う機会がなくなり、関係ないものとなり分断された。その結果、闇を含む世界そのものが分断された。
・チェレンコフ光 高速の蒼い光は見えないが、脳の知覚、体感として身体的に有毒な反応をもって認識される「有毒な光」が存在する。
ソースは論理的な化学研究のレポートなのですが、どことなく哲学的な雰囲気が漂います。世界の理はつながっていて「自然を探求することはつまり自らを探求することに他ならない」といった話はよく聞きますが、内発的な動機に基づいて追及される行為、という点において、アートとサイエンスは近しい存在なのかもしれません。
長くなりましたが、以上がソース5点となります。どのソースも示唆に富み、それぞれが有機的なつながりを感じさせますね。
■タイトルのAFTER GLOWとは?
インスピレーションのもとはこんなエピソード。
かつてアナログテレビがあった頃、放送終了後に流れた砂嵐の中には、ビッグバンの名残である宇宙マイクロ波背景放射と呼ばれる電磁波が含まれていたといいます。AFTERGLOW(残光)とは、私たちが日常生活の中で知らず知らずのうちに触れていた、宇宙誕生の瞬間に発せられた光の破片を指すものとして選ばれた言葉です。
太古の昔に発生した破壊のエネルギーが、新たな創造の糧となり、長い時間をかけてこの世界や生命を生み出してきたととらえ、現代の世界もまた、さまざまなレベルでの破壊/毒性と、回復/治癒の連続性の中で、人間の営みが行われてきたと考えています。
目まぐるしく変化する世界の中で、有毒なものを排除するのではなく、共存する生き方をいかにして実現するのか。ラクス・メディア・コレクティヴと共に、アーティストや鑑賞者、そのほか様々な形で本展にかかわる人々の間でこの問いを共有し、思考を続けていくことによって「ヨコハマトリエンナーレ2020」は形作られていくことになります。
とのことです。
ソースブックの概要を通して何となく言っていることがわかるような感じがしてきました。目に見えない、数値化されていないが、人とともに存在するもの。体系的に現代を形づくってきた何かに目を向けよう。
という試みなのでなのでしょうね。
外出自粛の現状です。原典をじっくり読みこむのもありだし、キーワードから興味を掻き立てられて、それについて調べるのも楽しそうです。
それがどう作品や展示に昇華されるのかを事前に塾考し、開催された暁には横浜に見に来るのもありでしょう。
ラクス・メディア・コレクティヴがが誘う数珠つなぎの物語。特異のための余白が設けられた知的冒険へ参加してみませんか?
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