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空に光るうさぎさん:追伸2 認知症と時間
おさんぽです。
昨日のお月様、すこし赤みがかって神秘的でした。
さて、前回に引き続き、亡父を見送るまで、見送ってからの
私の心象における、濃度の濃い部分を取り上げて、
よーく見る、ことの第二回目です。
前回、
逝く人、見送る人の間に、心からの信頼があれば、
その後のことは、きっと大体うまくいく、
勿論、諸々手続きはありますが、迷いや後悔は少ないだろう、と書きました。
でも、
誰が誰と、どう向き合っていくか、
本人が、夫婦、家族が・・(゜-゜)
個人的局所的な向き合い、だけでは限界がある のも事実です。
で、更に言えば
社会的受け皿が充実していて、全てを包み込んでくれる、
わけではない。
万能なルールってのは、ないです。
だからこそ、なんでしょうけど、
老いや病に、準備とか備えとか、広告もかしましい・・
そもそも
老いることを心配させてお金儲けする、って
どうも・・おかしい気がするんだわ・・
なんで?まあ異論反論、お在りでしょう、当然です。
人口動態がこうなった以上、なんとか対応するしかないんですけどね。
だとしても「みんな そのうち老いる」ってことは間違いない。
2.認知症と時間
そこで、
認知症。
これが老いの不安の真ん中、なんじゃないか?
病ということです。
が、私の母は、いつも自分はどこも悪くない!!と言います、
病らしくない・・んですよ、ほんと。
劇的に効果がある治療法はない。症状はさまざま。
母の場合は、記憶が保持できないこと、が難です。
そのために考えること、言葉を深く理解することが難しい。
お金の管理も体の管理も、
記憶に基づいているのですから
記憶がない世界に生きざるを得ないとしたら、
それらの約束事、自己管理なるものは、
ぶっとんでしまう。
貸金庫に、何を、どれだけ入れたのか、
生前、或いは記憶が保持されている段階で、
貸りた本人(親)から、話を聴いてなかったら、
盗み取られたって わからんだろうよ。
お空から見れば
金めのモノが、あっちからこっちに移動しただけ、ではありますが
ルールの抜け穴、
あり得ること、だから 実際あったということですね。
他にもあるんじゃない?・・
新しい記憶が作られない母には、時間の概念もないようです。
季節も日付も曜日もわからない。
ただし、3回の食事の始まる時刻、は、1日中 気にしていて、
基本、そればかり言ってる。
老人ホームにいるからこそ、なのでしょうか?
食事は絶対忘れない、という強い気持ちですかね。
「●時から、昼食開始だから・・」
食事と食事の間は、部屋でテレビを見ているのだが、
食事時間の案内と時計を、しきりに見比べては、
カバンをもって、
食事に行こうとして、又時計を見て、部屋の中をウロウロしている。
真面目な性格ですから、ホームに適応しようとしているんでしょうね。
ありがとう。
お陰様で、母は元気にしております。
過去の食事、さっきのメニューについても全く記憶に残っていない、
ただ、買い物に行って、
おまんじゅうをみれば
美味しそうだ、と言いますし、「蓮根は炊いたのが好き」と
昔食べた時の記憶を思い出し、
お店の人とちょっとした話をしたり、もできます。
でも、
その一瞬だけです。
そう、その一瞬には、そこに確かに母がいて、意識を、今ここにフォーカスしています。
ただ、次の瞬間には、別の瞬間が始まるので、繋がらない・・感じ。
まさに、量子力学的時間・・瞬間の中にいる。
古い記憶と瞬間に生きること、を体現しているから、時間がないんだな、
とも思えます。
認知症になって、記憶がぶっ飛んでしまうと、
過去の契約とか約束事がぶっ飛ぶので、周囲の人が
色々と難儀するのですが、
そうであっても、本人は、
残った記憶と、今の瞬間を生きていて、それでいいのだから、
それも老いのカタチとして受け容れていきたい、と思う。
私としては、社会の一様の在り方、
制度とかルールが、固くて強くて、
寧ろ もろくなってる部分があるのなら、そろそろ見直して、
不安なく暮らせるように、変わっていくといいな、と
拙に願う次第です。
お読みいただきありがとうございました。
おさんぽでした。