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あの日々をたぐり寄せて
小学生の頃の夏休み。
それは、
澄み渡る空と、元気な太陽の光に身を包まれながら
大地を駆け巡った季節。
私たちはもう、戻れないのでしょうか。
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この間、押し入れを整理してたら小学校の頃に描いていた自由帳を発見しました。
中を見てみると、僕が好きだったものの絵がたくさん。
車、野球、武器の絵とか。
今でも絵は好きですが、描く対象は風景かキャラクター。
どうしてなんだろ。
車が好きだからって、今は自由帳に描いたりすることない。
例えばyoutubeでレースの動画を見たり、ゲームで遊んだり。
もっと刺激的な方向に行きます。
では、なんであの頃は絵を描くだけでも、すっごい楽しかったんでしょう。
理由は、感性だと思います。
今は感性が擦り減ってきてて、もう絵なんかじゃ満足できないと。
楽しさって相対的なものだから、仕方ないのかな…。
そんなことを考えてたら、ぼんやりと怖くなってきて。
それは多分、時間と共に、人生に飽き続けてるってことだから。
私たちは人生において、
とてもたくさんのものを拾いながら
一方で、
とても大切なものを落としていっているのかもしれません。
子供のころは、いろんなものに敏感で、
故に苦しくて、楽しくて。
↓
ハイリスク、ハイリターン
大人になるにつれて、感性は擦り減り
故に落ち着いてて、ゆっくりしていて。
↓
ローリスク、ローリターン
大人になるにつれて、人生に慣れていくっていう感じでしょうか。
これは、
”経験によって不確定要素を減らしたい”という生存本能によるものだと思います。
これが、人生に彩りをなくしていく。
だんだん空の、山の、植物の美しさが霞んで、
”普通”と一体化する。
いろんな色を、混ぜて混ぜて
死という無彩色へと引きずり込まれているようです。
っていう風に考えると、
不確定要素を増やす→新しい経験、人とのかかわりなど
を大切にしていかないとなって思います。
また、意識的に感性を動かすことも大事だと思います。
私は子供なので、今後自分がどんな世界観の中に生きるのかは想像もできませんが、
不安は考えるきっかけぐらいにして、あんまり怖がらずに過ごしたいと思います。
自分が生きてる世界観って、
常に今はニュートラルで、今の世界観を言語化することはできません。
世界観は、
昔はこうだったよなぁって今と相対化することで、今と当時の世界観の関係の中に浮かび上がってくるもの。
だから、大人の皆さん、
社会に出ても、大変なことが起きても、おおよそ”ふつう”なんでしょ?
若い頃の不安って、結局役に立つことはあんまりなくて
気づいたら無くなってたって感じだよね?
ため語失礼しました。
心配せんでいいって、体でわかった時には既に大人なんだろうなぁ。
何を書いてるんでしょう。やっぱり最近体調良くないかも。
thank you for reading~👋