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相手への期待は怒りになる。これが認知の歪みというものか。
「感情は、すぐに脳をジャックする」
第1章の感想の続きです〜
「感情とは、他者の存在や言動によって引き起こされていると思いがちです。でも、実際は、自分の観念や価値観に紐づいて内在しているもので、他者との関わりが、「きっかけ」となって、さまざまな変化を起こしているに過ぎません」
第1章「あなたの感情は、あなただけのもの」
「相手は鏡である」というのは、こういう事なのか。と思いました。
相手との関わりで、揺れた感情があったとすると、その感情を通して、自分の価値観を知る事ができる。
感情便利!
また、本では、「相手への期待が次第に怒りに変わる」という一文があったのですが、わたしの場合も、怒りのトリガーは「相手への期待」になっているな。と最近よく思います。
振り返ってみると、息子への怒りの殆どが「期待」でした😅
先日、友だちと、その息子くん(3さい)が家に遊びにきた時に、息子は自分のおもちゃを3さいくんに貸そうとしなかったのですが、度重なるそんな息子の態度に、わたしはものすごく腹を立てていました。
それをよく考えてみると、「年上の子は、年下の子に優しくするもの。おもちゃを貸してあげるもの。」という観念(期待)があったからで、それに気付いた時に、はぁ!👀としたのでありました。(同時に怒りもどっかにいってしまった)
また、普段気遣い屋さんの知人が、まったく気遣いのない話をしてきた時も←、ものすんごい腹が立って納得できなかったのですが、それも、「人は人を気遣うもの」「相手の〇〇さんは気遣い屋さんだ。」という勝手な期待を抱いていたからでした。(もはや当たり屋で笑う)
本ではこれを「自分に甘えている状態」と表現されていましたが、わたしは「人に甘えている状態」かなと思いました。
自分の理想を他人に背負わせて見ているというか。
……あ、なんか、すごく驚きました。
なんとなく、わたしは、日常の小さなシーンで怒りを感じる機会が多い気がするのですが、「対面しているものによく期待をかけている。(自分の理想を背負わせている)」と考えると、とても納得します。
湧き上がる感情についても、理想を背負って見ているが故に、そのままを感じられないのかもしれないです。
あ〜認知が歪んでいるって、こういう事なんですね。
(何かのテストで結構歪んでます〜って言われた人←)
最後に。
「なる」と「する」を手放して、とにかく一緒に「いる」を続けていると、自然と「する」と「なる」が生まれる。
「幸せ」とはなにか?〜あとがきにかえて〜
感情の話とは少し離れますが、なんだかとても興味深いものだったので、抜粋しました。
固定観念の逆をいかれると、ついつい反応してしまいます。
目標をもつと、それに「なる」ために、何かを「しよう」としますが、確かに言われてみれば、わたしは、おっとと一緒に「いた」ら、いつの間にか結婚「して」、いつの間にか家族に「なって」いました。
思い返せば恐ろしく自然とそうなっていました。
となると、人や物事に関わらず、ストレスなく「いられる」って、それだけで、可能性を含んでいるんですね。
面白いです。
今あるものを、いま一度振り返ってみようと思いました。