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盲信から抜け出して、成熟した大人になるとは
「成熟した大人」とは、どんなイメージだろうか。
仏陀(ブッダ)によるこんな言葉がある。
慎重に観察し吟味して、その見解が理にかなっており、あなただけではなく万人の役に立つと分かったときは、そのときこそ、それを受け入れて生活の基礎に起きなさい。
他人の経験や情報を鵜呑みにして、ただそれを信じるのではなく、しっかりとした自分の考えを持つこと。それには、その情報を取り入れるに値するのか、自らが実体験を持って確認することである、と伝えられている。
情報に溢れた社会から、”どんな情報を取り入れるのか”といったことはとても大事なこと。大衆が信じていること、小さな頃から身近にあった親の信念は、今、それを信じるに値するだろうか?
たとえ、影響力のある人やあなたの先生が言っていることでも、それを単なる”良き情報”に留めるのではなく、それを自らが実践してみることが大切になる。
自らの体験なくしては、本質的には何ごとも語れない。
有名なフランスの5つ星レストランのメニューを見ているだけでは、
それがほんとうに美味しいかどうかを知らない。
実際に”その味”を味わう体験をしていないから。
知識だけで体験がなければ、ほんとうに「知っている」とは言えないのだ。
もらった情報をそのまま信じたり、拡散するのではなく、
自らの体験と考えを持って、そのものごとを語れるような人間になること。
それが仏陀(ブッダ)のいう、”成熟した大人”というものなのだ。
得た情報を自らが実践し、そこで感じたことを述べることができたら、
世の情報に惑わされる、といったことははるかに少なくなるだろう。
「フォロワーであるだけの自分」に違和感を感じない世の中。
ブッダの教えは時代を超えて、”盲信の罠”から抜け出す大切さを、私たちに教えてくれている。