『天職』に出会う準備期間
以前noteにも書きましたが、私は自己肯定感が低い。
何とかしたいと考えて色々と努力してはいます。心が元気な時にはまだマシで、自己肯定感もそこそこ上げ調子。
でも、日常で仕事のミスや、人間関係のトラブルなど、何かつまづくような出来事が起るとすぐに
「やっぱり私はダメだ」
「こんな私がそんなこと考えたから、身の程知らずでバチが当たったんだ」
と自分を責める始末。
自己肯定感とは、自分で自分にOKを出せる感覚、私は私で良いんだと思える感覚。
家族や友人や先生など、周りから肯定されたり、自分で「私頑張った」と自分を認められるようになることで、自己肯定感はUPしていく。
私は小さい頃、ちゃんと家族から褒めてもらっているのに何で?
たぶん、子どもの私は、自分の身に起っている周囲の状況を全く理解できずに、全部自分のせいにして。褒められた以上に、自分ひとりで自分の境遇に傷つき悩んで、間違った解釈をして。
私のせいで両親は離婚した。私のせいでお父さんがあんなことになった。私のせいで家族が苦しんでいる。
私のせいで。私がいなければ。私が産まれてこなければ。。。
友達の家族と自分の家族の違いに気がつき始めた頃から、こんな自分の考えに呪縛され誰にも言えず。そんなことを長年していると、なかなかのくせ者でなかなか上がってくれない私の自己肯定感。
それは、昔の私の短所だった。
そして、今の私には長所になった!
私はカウンセラーやソーシャルワーカーとして、子ども達やお父さんお母さん、先生や保育士さん、子育て支援者さん達と関わるお仕事をしています。
相談に来てくれた皆さんのお話を聴く。
本当に苦しく辛い時、人は話をすることすら嫌になるし話せない。
子どもの頃。ずっと誰にも打ち明けず、黙っていた私が身を持って体験したこと。
そんな私だから
「話してくれてありがとう。話すのもお辛いでしょうに、こんな私に話してくれて。本当にありがとう」と心から思える。話してくれたことに心からの感謝が湧いてくる。
私は保護者向け講演会や、先生や保育士さんなど専門職向けの研修会の講師、大学でも非常勤講師のお仕事をしています。
講師として皆さんの前でお話をする。
子どもの頃。学校の先生も、近所のおばちゃんも。本当の私のことなんか理解してくれやしない。絶対話すもんか!絶対に大人の言うことなんか聴くもんか!
話をしようともしない。話を聴こうともしない。耳と心を閉ざして。何事もなかったかのように、「大丈夫です」とニコニコ笑っていた私。
そんな私だから
「私の話を聴いてくれてありがとう。やってみようと思ってくれて幸せです。一緒に頭で考えて心で感じてくれて本当にありがとう」と聴いてくれている皆さんのお顔を眺めながら感謝と幸せが湧いてくる。
今回はnoteのコンテストを通じて『天職』について考えてみました。
自分のこれまでの人生で経験できたこと(それは特技や好きなことでなくても)、他の誰でもなく自分の経験が、他の誰かの役に立ち「社会に貢献できた」幸せが心にほっと灯をともした瞬間。それが『天職』だと思える瞬間なのかもしれない。
そう言えば亡くなったうちのおばあちゃんがよく言っていた。
「『損』して『得』とれ!」
おばあちゃん。子どもの頃の『損』した経験、大人になって『得』になって返って来たよ~。
自己肯定感の低さすら、私の『得』に変えてしまおう。
自己肯定感の低い私もなかなかだ。
そう思わせてくれた私の『天職』にも感謝。。。