おにぎり
最近、自炊をするのが億劫で仕方ない。
というより「食べる」という行為自体が面倒くさくなっている。
ご飯は家でゆっくり食べたい派なので、
外で食べることはほとんとないし、料理好きの母親譲りなのか、料理をすること自体は別段苦痛ではない。
かといって、SNSに乗せられるような料理をしようと思うわけでもない。あくまで自分のため、自分がその時食べたいものを、食べたい味で作る程度。
それでも、自分で作ったものを食べるのは意外と好きだった。
それが最近、困ったことに何も作りたくないのだ。
良さげなレシピを見つけても、保存ボタンを押すだけで、材料をそろえる気はない。
とりあえずと、スーパーに行ってみても、作りたいものがないから結局手が伸びるのはお惣菜、レトルト、スナック菓子。
そう。「作りたく」はなくても、困ったことに、お腹はちゃんと空く。
そして、この現象は初めてのことでもないし、定期的にやってくるもなので「ああ、またか」と思っていたりする。
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昔から私にとって「食べる」ことと「メンタル」は結構密接な関係だった。
例えば、人からどう見られているかをひどく気にしていた大学時代は、そんなに仲良くない人とご飯を食べに行くと全く食べられなかった。いいなと思ってた人とのデートなんてドリンクだけでいい。なんて言ってギョッとさせたこともあった。
仕事がちっとも上手くいかなくて、自分の将来にも不安しかなかった時期は、カルピスとポテトチップスの袋がいつも部屋に散乱していた。
上手くいかないことがある度、そうして私の意識は「食べる」ことから離れてきた。そして、そんな決して健康的とはいえない食習慣を経て気付いたことがある。
私にとって「食べる」という行為は「今の自分へ意識を向ける」行為の1つだということだ。
人前でご飯が食べられなかったあの頃はいつも「人にどう思われるか」「好きな人にどう見られているか」そんなことばかり考えいた。
何もかもうまくいってないように思えたあの頃は「自分以外の誰かの人生」ばかり見ていた。
その一方で、たとえどんなに忙しかったとしても、自分ときちんと向き合えているときの食事はきまって充実している。
すごく栄養バランスのいい食事というわけではないけれど、少なくとも自分が作ったものが並べられたテーブルを見るとちょっとした幸福感に包まれるし、たとえ味付けに失敗したとしても、自分の作ったものを口に入れた瞬間、自然と笑みがこぼれる。
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ここまで書いてみて、ようやく気付いた。
私は「自分の作ったものを食べること」が好きなのだと。
他の誰のためでもない、自分のために作ったご飯。
たとえそれが美味しくなくても、5分で作ったものだとしても、
私が「私のために」作った。
その事実が私にはすごく大切だということ。
毎日かかさず淹れるコーヒーに幸せを感じるのも、同じことなのかもしれない。
「自分のために」自分で、何かをする。
忙しかったり、気持ちに余裕がなくなってくると、
日常の何もかもが作業になってしまう。
だからこそ「食べる」「自分のために作る」という行為を大切にしていきたいと思う。
無理はせずに1品からでもいいから。
明日のために、おにぎりでも握ってみようかな。
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