春は「出会い」の季節。
ようやく大学受験が落ち着いたなぁ、なんて呑気に構えていたら、
どうやら世間も職場も「次」へと向かって、とっくに動き出しているようだ。
春期講習への問い合わせや
新学年に向けての体験授業で
ほんの少し寂しくなっていた予定表はどんどん埋まっていく。
あまり先のことを考えて動くのが得意でない私は、
常に先を見て動いている上司や保護者・生徒たちを見て
すごいなぁ、なんてつい感心してしまう。
きっと私はそういう人たちのようにはなれないけれど、
最近は、別にならなくていいと思うようにしてる。
そして、彼らのような人たちがいてくれるから
私はこうして呑気に自分のやりたいことをやれるのだと
感謝も忘れないようにしたい。
***
春は、別れと「出会い」の季節。
考えすぎ。傷つきやすい。人が多いところが苦手。1人が好き。人見知り。な私は、何事も「初めまして」は得意じゃないし、緊張する。
でも、100%嫌ってわけではなくて、2%くらいのワクワクもある。
それでもやっぱり「体験授業」は、いつも緊張する。
塾講師になりたての頃は、
これで塾や私の評価が決まる…なんてプレッシャーを
自分にかけたりして、いつも胃が痛かったのを覚えている。
たくさんの体験授業を経験してからも、
話が得意なわけでもないし、
あの先生のように上手く話すことができるだろうか。
英語がめちゃくちゃできるわけでもないし、
この人、バカじゃん。なんて思われないだろうか。
そんなことを思いながら、いつもビクビクしていた。
どんなに数をこなしてもおそらく一生
得意だと感じることはないような気がする。
特に「頭のいい子」は、ずばぬけて苦手だった。
基本的にうちの塾には東大・京大志望はもちろん、
旧帝大志望レベルの学力の子は、ほとんど来ない。
だから、その種の緊張感に悩まされることはあまりない。
仮にあったとしても、
幸か不幸か私が担当になることは、あまりなかった。
私自身が避けてきたのか、そういう運命だったのかはわからないけれど、
そんな機会がとうとう、昨日来てしまった。
ほんの少し話しただけでわかった。
学力的な頭の良さだけでなく、頭のキレといった面でも
めちゃくちゃ「頭のいい子」だと。
正直、授業の内容はあまり覚えていない。
けれど終わった後には、一斉授業以上の疲労が一気に押し寄せてきた。
「私には無理だ。私じゃなくなればいいな」
以前の私だったら、絶対にこう思っていた。
教えることは好きだけれど、学力に正直そんな自信はない。
こんなんでいいのかと何度も思ったけれど、
英語力よりも指導力。
どう伝えたら伝わるか、どうすればできるようになるか、
ひたすら生徒の想いに共感し、そこから解決策を見つけることの方が楽しかったし、好きだったから、あまり見ないようにしてきた。
だから、いつも明らかに自分よりも「英語のできる子」からは、逃げてきた。
『あの子でも、満足する授業がしたい』
けど昨日、授業後に感じたのは、
とんでもない疲労と「初めての」気持ちだった。
ずっと逃げてきてばかりだと思っていたけど、
思い返せば何度かそういう経験はあったことを思い出した。
今までも、自分のキャパ以上のものを求められる授業をいくつか任されていた。その度に、胃痛に耐えながら、必死に、もがきながら、やってきた。
もちろん上手くいったかと聞かれたら答えはNO。
けどその経験を繰り返しながら、
そして日々の授業と向き合ってきたことで、
私の中に変化が生まれた。
自信やプライド。
そして、挑戦する勇気。
今まで出会った生徒たちとの授業のすべてが
私の経験となって、今の私を作ってくれている。
どうなるかはわからないけれど、
「初めて」の世界に、飛び込んでみようと思う。
彼でも、満足させられる授業を目指してみようと思う。
はじめまして。新しい私。
春は「出会い」の季節。