見出し画像

スポーツライター西尾克洋の父:ケンイチの伝説 part1 概要編

大方の予想通り父が一番反響があった

さて。
そろそろやりましょうか。

父の話を。

皆様に家族写真を公開したところ、まぁそうだろうなぁと思いましたが誰もが食いつくのは父でした。

そりゃそうですよね。
あの風体ですから。

でも、若い方はピンと来ないかもしれませんが私が子供の頃ってこういうおじさんは少なからず居たんですよ。そうだなぁ・・・若い人からするとおじいちゃんの世代はこういうコワモテも居ましたよ。

サングラスにヒゲ。金のネックレスにパンチパーマ。

人が寄り付かないことが一つのステータスなんですよ。動物的な強さを風体に出すことをファッションとして行っていたんですよね。考えてみると。それよりも下の世代になってくるとより強さをファッションに出す行為は退潮していますが、タトゥーとかやる人はやるし、無くはないのかなと。

で。
父ですよ、父。

流石に大ネタですから、どう捌くかひたすら考えました。言わなきゃよかったとも思いましたよ。

まぁ言い始めちゃいましたし、後で話しますけどその業界では知る人ぞ知る存在ではあるんですが、活躍していた時期が2000年くらいまでなのでネット上に情報も無いし、本人と周囲が語ることでしか伝える術が無いんですよね。

父は2年半前に73歳で亡くなったのですが、誰がどう見てもヤバい人ですし、更に紐解くと色々と面白い話も興味深い話もあるので、ちょっとプレッシャーではありますが何回かに分けて話してみようと思います。多分何回かでは終わらないのですが…。

父:ケンイチは、舞台照明の会社を経営していた

では始めましょう。

私の父、西尾ケンイチさんと言うのですが、風体と同じくらい、というかそれ以上に大きなアイデンティティがあります。

それは、職業が「舞台照明会社(有限会社ニュースタッフ)経営」ということです。

「舞台照明」と聞いてどんなものを想像されるかは人次第だと思いますが、多分多くの方が想像されるのって多分、デカいライトをカーっとステージ上の人に向けて操作するような感じのことをじゃないのかな?って思うんですよ。照明って言えば大体アレが出てきますからね。

実は舞台照明って、あれはほんの一部です。父が行っていたのはショーの照明全体を設計することでした。

舞台には無数の照明装置がありまして、それぞれの歌やシーンに合わせてどのような形で光を当てるかを全て決めていく必要があります。ほとんどの方が知らない部分かと思いますが、照明というのは舞台やコンサートでどのように当てるかが前もって決められているのです。

そんな非常に繊細なことをあの風体の父が行っていたのです。

別の日に話す機会があるかもしれませんが、うちは両親が見合い結婚ですから元々母は父のことを全く知らない状況から知り合っている訳です。

まぁ当たり前と言えば当たり前なんですけど、父から聞かされているとはいえそういう仕事が世の中に存在していて、しかも普段はコワモテで無茶している父がやっているということがどうにも信じられなかったらしくて。

結婚して数年後、実際にテレビの映像で見るまでは「実はこの人テキ屋かなんかじゃないだろうか?」って疑い続けていたらしいんですよ。分からんでもないけど、ちょっと疑いすぎだろ、母よ。

父:ケンイチは美空ひばりの舞台照明を担当していた

更に突っ込んだ話をします。
じゃ、どんな人の、どんな団体の仕事をしていたか?って話です。

その範囲は実に多岐に及んでいまして。

演歌の歌謡ショーを行うこともあれば劇団四季のような演劇を担当することもありましたし、レゲエジャパンスプラッシュの仕事をすることもありました。オペラもやってたって言ってたはずです。

一番多かったのは演歌の歌謡ショーでしたが「え!?そんなのもするの?」ってこともやってました。声優の桜井智さんとか。90年代のオタクはマジでヤバかったとため息をついて帰ってきていました。

会社の経営の中で一番の中核を担っていたのは、父が美空ひばりさんの照明を15年くらい担当していたことでした。

しかも、恐らくその話が来た当時は二十代後半だったと思うのですが、こんなデカい話が来た時に「俺は演歌なんか嫌いだからやらねえ」と言い放ったらしいのです。せっかく懇意にしていた、シャープスアンドフラッツを率いた原信夫さんが紹介してくれたというのに。

本当に何考えているんでしょうね。多分そうやって強く出て、相手の出方を伺っていたんじゃないかなと。ただ、本当に嫌だった可能性も少なからずありますが。

ひばりさんの仕事を行うようになってから西尾ケンイチさんの知名度は業界内でも一躍向上し、本人曰く「日本一カネを取る照明家」になったそうです。本当かどうかは確認する術もありませんが、どうだったんですかね。まぁどっちでもいいんですが。美空ひばりを担当しているというだけで名誉なことですから。

こんな父なので業界的にもかなり名も伝説も知れ渡っていたようで、都はるみさんと初めて対面した時に「お噂は色々聞いています」と言われたとか。どんなお噂だったのだろうか…

父:ケンイチが照明の世界で果たした功績とは

そういう大きな仕事をしていたこともさることながら、実は父が業界的に非常に大きな役割を果たしたこともありまして。

それは、80年代から90年代に掛けてコンサートホールが巨大化したということです。

ひばりさんの例で言えば東京ドーム公演をこけら落としに近い状態で行っていますが(こけら落としはアルフィーが行っている)、当時そんな会場って日本に存在しなかったんですよ。あれだけのキャパで、ドームに関しては天井が60メートルくらいのところにある訳です。

つまり、照明を当てるにしてもそういう会場に於ける方程式が無かったんです。ですから、一つ一つを手探りで考案して、試して、その中から最適解を導いた。

照明家の息子ではありますが、よくわかんないですけどね。どのあたりで困って、何を最適解にしたのか。

ただ、どうやら光の反射とか、色の出し方とか、機材の設置方法とか、全てが今までのコンサートホールのやり方ではダメだったみたいなんです。だから例の「不死鳥コンサート」っていうのはひばりさんが命がけでステージに登った物語だったのですが、そんなひばりさんの最後かもしれないステージを最高のものにするために闘った裏方の物語もあったんですよ。

あんな風体で、やってること超クリエイティブなんですよ。

だから酔って帰ってくるといつも言っていました。
俺は天才だ。
って。

ちなみに50過ぎてから蜂窩織炎かなんかになって溝の口辺りの病院に2週間くらい入院していたんですが、母が用意したパジャマが気に食わなかったらしくて、言ったんですよ。

「俺は芸術家だからバーバリーのを買ってこい」

と。。

舌打ちして二子玉川まで母はパジャマ買いに行ってました。

はい、そんな父です。

父:ケンイチの伝説はまだまだ続く・・・

言っておきますが、これは父の概要です。
まだ1%も出していません。

ただ、恐らく仕事に於ける父の大枠が理解できないとこのおじさんが何故コワモテで、登戸では突出して態度がでかくて、様々な伝説を生みだしたのか皆さん理解できない筈なので取り急ぎ社会的な立場についてお話ししました。

これが基本となって、これから色々と父が斜め上の言動を取っていくことになります。そして、様々な濃い人物が父と密接に関与してくることになります。

そこに、家族が大いに巻き込まれるのです。まぁ、大体コメディになってしまうのですが。

というわけで、照明家(名刺には「舞台美術」と書いてあった)の息子として39年目撃してきたありえない話をこれから出していこうと思いますので、これに懲りずにお付き合いください。

父のことや西尾家のことについて質問や感想があれば、ぜひコメント欄でお聞かせください!

追伸:YouTubeの海を漁っていたら美空ひばりさんの不死鳥コンサートの映像がありました。まさしく父の照明(照明を当てているのは別の方ですが)です。

注目はスタッフロールです。

美空ひばり

森英恵の次に居るじゃねえか!

いいなと思ったら応援しよう!

西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
よろしければサポートお願いいたします! 皆様のために今後使わせていただきます!

この記事が参加している募集