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「社会の歯車になる」のは簡単なことじゃない。社会人よ、誇りを持とう。

「社会の歯車になる」っていう言葉を就職前の学生とか、自由に仕事をしている人が口にしているのをよく見ます。

大体ね、この表現はネガティブなんですよ。

つまり、自分を失い、無機質な存在として1日1日をただ浪費するだけの存在としてサラリーマンたちを見ている。

そう。
大抵の場合がサラリーマンになんてなりたくねえ、っていう文脈で使われているように思います。

「社会の歯車」っていうのをポジティブに使っている人なんて聞いたことないし、人を歯車に見立てるっていうとアレですよね?

ほら。

ふんどし一丁になって、辛い顔しながら棒みたいなのをぐるぐる回しているやつ。「北斗の拳」で塔の電気を明るくするために奴隷にこの作業をさせているイメージです。

こういうやつ

前に同じような感じで「電車に乗っているサラリーマンの顔が死んでいるのを見て就職活動辞めた」みたいなことを言っている若い人に対するアンサーを上げたことがありましたけど、アプローチが今回は少し異なります。

そもそもね。
まずですよ。

私たちは就職活動っていうものを、自分が極力出来るものか、やりたいものを選んで行うことになります。

自分で選んでいる職業のことって「歯車」なんて表現にはあまりならないと思うんですよね。

仕事をしている時って楽しいばかりではないし、自分の意思を殺している時だってあります。下げたくない頭を下げることもある。

でも、そういう仕事でさえ自分で選んでいるんです。
数ある仕事の中からですよ?

だから、サラリーマン自身はそんな「歯車」なんて負い目を感じる必要は全く無いんです。

つまらない時にそんな風に卑下しちゃう時はありますよ。

特にね、SNSなんか観ていて、同世代で成功している人とか、大谷翔平の輝かしいニュースなんて見ていると、そんな風に堕とすことによって逆に自分の気持ちを一回叩きのめすみたいな、ね。

そういう発言を、就職活動したくない、あとは何者かになりたいっていう人は真に受けちゃうんです。

あれはね、本音も含まれているけど、それだけじゃないんですよ。
皆さん。

あと。
とても大事な話をします。

歯車って、誰でもなれるものじゃないんですよ。

基本的に就職活動っていうのは、数段階の選考を経て行われます。その会社から内定が出ている時点で競争に勝っていると言えるわけですよ。

そして、社会人としての試練は入るだけではありません。

会社に入ってから、知識を付けなければならないことは勿論、周囲との人間関係を問題なく済ませて、更にはキャリアを進めていくうえでは経験も積まなければならない。

勿論、信頼を得るためには結果を出さなければならない。

ふんどしいっちょで棒をぐるぐる回すような、無機質な日々ではないんですよ。電車の中を見ていれば顔が死んでいるように見えるかもしれない。そしてその人のことを社会の歯車なんてレッテルを張りたくなるかもしれない。

だけど。
あなたが歯車と言っている、無機質だと思っている人はそれぞれ闘っている。生きるために精一杯なんです。

しかもその精一杯はただ頑張っているだけじゃない。自分と家族と会社がどうすれば良くなるかを考えた上での頑張りなんですよ。

1人1人が会社という組織に所属するための生存競争を勝ち抜き、その後では会社の中で自分の立ち位置を得るために必死になっている。

これが、皆さんが仰られている「歯車」の実態です。

歯車に成れるっていうのは、悪いことじゃない。
全ていいことばかりじゃないですよ。
愚痴も言いたくなるし、理不尽なことばかりでもあります。

多分、嫌なことが100あるとしたらいいことなんて1か2くらいじゃないですかね。

会社の中だけじゃなくて、家に帰っても、所属する自治体の中でも、そして皆さんが大好きなSNSの中にさえ安住の地は無いかもしれない。

でも、みんな生きていて、それぞれが役割を果たしているからこそ社会が回っている。

歯車に成れるっていうのは誇り高いことだと思いますよ。
少なくとも、私はそう考えています。

あとは、あんまり自分のことを愚痴っぽく評価してほしくないかなっていうのは思いますよ。

家族が居て。
会社で生きていて。

子供の頃にそれって当然のことだと思いましたけど、日々なかなか大変です。その日々の大変が重なってて未来が出来ていく。

だから私くらいは歯車であることを揶揄されたとしても、笑って済ませます。

お前、歯車になれんのかよ?
私はなんとか歯車やっていますけどね。

って思いながら。


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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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