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noteを離れる、辞めると言われたときにすべきことを考えた話

noteを始めて半年近く経過しようとしています。


ビューも増えたし、書くスタイルも、配信も、リレーエッセイのような企画も、様々なことが形になり、色々とスムーズに動いているように感じています。


これらを模索するのが大変だった反面で、模索することそのものが楽しかったんですよね。答えを持っている人は居ても、それが自分にとっての正解とは限らないので、私の記事のスタイルに合った形にしなければならなかったですから。


なので、これからは今やっていることをどのように良くするか、取捨選択していくか。そんなことが問われているように感じています。


ただね、
私の場合はいつもそうなんですけど、刺激が無いと飽きちゃうんですよね。ビューが伸びているとか、どこかで大きく掲載されたとか、何か新しいことをやってみたとか。


自分のテンションを高めていくための仕掛けをしていくこともまた、楽しく続けていく上で必要なんだろうなぁと思っています。


そんなわけで私はnoteと今のところ非常に上手い距離を保ちながら日々の生活の一部として成立させられているように思うのですが‥


一方で、気になることが出てきました。



似たような時期に始めた方たちが、最近noteをお休みしたり、辞めたりということが多くなってきているのです。


理由は様々で、書くことに疲れたような方も居れば、飽きてしまったという方も居ますし、思った以上に反響が無いことに悩む方も居ました。周りの方と上手く行っていないというケースもあれば、仕事が忙しくなってしまったという方も居ました。


人それぞれではあるんですけど、半年から一年くらい継続してみると、自分の中でnoteを書くことに対する気持ちにも変化が出てきますし、更には社会生活やnote内の人間関係でも変化が生じてきます。


これって実はnoteだけではなくて、SNSやってみると出てくる一つの壁のように思います。


noteの場合は今のところ一つの傾向として半年から一年というところに集中しているように思えるのですが、人間関係が更に密な環境だと更に疲れを感じるのが早いこともあるんですよね。


むしろnoteは少し遅いほうかなとも思います。書くということが自分の中でとても大事な方が集まっているので、そこが達成できている訳ですからその場から一度離れるという決断って至りにくいんですよね。


裏を返すと、そういう強烈な動機がある方がnoteを離れるっているのは結構重症だと思うんですよ。仮に戻ってきたとしても、一時期のようなテンションにはなりにくいでしょうしね。


で。
最近少し考えたことがありまして。


noteを休む、辞めるという方に対して周りとしてどう接したらいいのか?ということです。


仲の良い方がそのような意志を表明したときにまず思うのは、変わらぬスタンスで続けてほしいということなのは間違いありません。


仲の良い方を一時的に、もしくは永久に失うということは耐え難いこともありますし、思い出や想い入れが深ければ深いほど辛さは出てきてしまいます。


ですから、すぐに思いつくのは「どうにかして撤回してほしい」ということになります。


しかし、それが悩んでいる段階であれば話は別ですが、辞めるという意志を表示する段階まで来ると、自分の中で整理ができてしまっているんですよね。


会社を辞めたいという人を止めるのが難しいのと同じことで、止めるのであれば本来はアラートが出ている段階で気づかねばならないのですが、バーチャルな空間でしかも自分が書くことが主体のコミュニケーションですからそこまでは拾いきれないんですよね。


だから、こちらとしては結論がバーンと出てきて、ああそうだったのかと気付かされる。だから残念ってのもあって、もうひっくり返し難いのについ「辞めないで」なんて言ってしまいがちなんですよ。


多くの方にとってnoteは趣味です。家庭もあるし、仕事や学校もあります。そうした日常をより楽しくするための趣味ですから、生活を優先させるのは当たり前のことです。


noteもそうなんですけど、楽しくなると趣味が生活を侵食し始めるんですよね。この危うい楽しみ方も良い時もありますが、長くは持ちません。だから、それを一旦リセットするというのはよくある話なんですよ。


だから、あくまでも個人の想いとしては、一時的に離れる、辞めるという決断については受け入れるしかないと思うんですね。


ほら、あれって頭に来るらしいんですよ。長年開いてきた店が閉店になるって聞いてから寂しいと言って普段来ていなかった客が来始めること。


今まで気づかなかったのに、辞めるって言ったらてめえ優しくするのかよって。まぁもうそれは、気づかなかった側としての何とも言えない想いもあるし、最後くらいは自分の中の思い出に寄り添いたいということも分かるんですけど、閉める側からしたら勝手なんですよね。


だからトータルで考えると、受け入れるしかない。


でもね。
これは自分が仮に辞める、中断するといったときに「残念ですが今までありがとうございました」一色だったとしたら、それはそれで残念じゃないのかなとは思うんです。


自分は引き止めもされないのか、ってなったらある意味で楽ではあるんですけど、想いを優先させるだけだとこちらの真意は封印したことになっちゃうんですよ。


そうすると最後まで書き手と読み手の間にギャップが生まれて終わってしまう。これもまた、終わり方として残念なのかなと。


だから、こちらの想いを伝えることも大事だと思うんですよ。


相手の意志を尊重しつつ、書き手に対する想いをキチンと伝える。最後のコミュニケーションに成りうるからこそ、想いは封印せずに見せたほうが自分も悔いが残らないですしね。ひょっとしたら想いが通じて何かの形で残ったり復活したりも有り得るわけで。


昨日からの続きになりますけど、結局のところ大事なのは相手を尊重し、思いやり、感謝すること。これは大前提として、押し付けになり過ぎない程度に想いを伝えることもあって良いと思うんですよ。


私のnote活動もこういう段階に来たかと少し寂しい想いもありますが、これは必ず通るところですから、親しい方には特に想いを伝えることを大事にしていきたいと感じました。


年末ということもあり自分が書くことだけで手一杯なところがあり、スキすることしか出来ず皆さんには大変申し訳ありませんが、落ち着いたらまた伺いますので、その日をお待ちいただけますようよろしくお願いいたします。

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西尾克洋/相撲ライターの相撲関係ないnote
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