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お気に入りの鷲田清一“折々のことば”スクラップ(随時更新)

・2023/12/13の折々のことば。荷物は重いほうがいい。とにかく、持って歩くのだ。「十の絶望もたった一つの希望で御破算にしていけるような大らかな心があったなら、どんなによかっただろう。」(ヨネヤマママコ)

 若き日「契約結婚」を試みたパントマイマー。愛と結婚、意識と肉体の落差、「女」という足枷(あしかせ)に苦しみ、ついに米国に脱出した。彼(か)の地で長く格闘したのも「自分のわがままに市民権を与えたかった」からだと言う。さらに荷物は「重いほうがいい。とにかく、持って歩くのだ」と言い切る。半生記『砂漠にコスモスは咲かない』から。

 パントマイマーのヨネヤマママコ(本名米山ママコ〈よねやま・ままこ〉)さんが[2023年9月]20日、老衰で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は付き人の明神勇(みょうじん・いさむ)さん。
 山梨県生まれ。東京教育大学(現・筑波大)体育学部卒業後に渡米し、大学や劇団でマイムを指導。帰国後に「ママコ・ザ・マイムスタジオ」を設立し、日本におけるパントマイムの草分けとして国内外で活躍した。

・「噺家(はなしか)の五代目古今亭志ん生には何ごとも小ぎれいにまとめない風(ふう)があり、はだけた胸元からのぞく酒灼(や)けした肌に、突っ張りの若者もこれはかなわないと思っただろう」(古今亭志ん朝、小林信彦との対談から)
 志ん生さんは83歳で没し、志ん朝さんは63歳で亡くなった。志ん朝さんの80歳前後になった時の噺を聴いてみたかったとつくづく思う。

・大岡信『肉眼の思想』より、「専門家とは「先人たちの仕事の累積の中に自己自身を自覚的に位置づける意思と実行力をもつ者」のこと。至言と言うべきだろう。

・「セルビア系の米国人詩人は、芸術は「創る」というより「見つける」ものだと語る」
芸術は「創り上げる」ものと私は考えてきたが、この言葉が胸にすっと入ってくる。不思議な感覚を覚えた。

・「器量」という言葉。梯久美子さんによる石垣りんの評伝『独りの椅子 石垣りんのために』の刊行が待ち遠しい。

◎新連載・梯久美子「独りの椅子 石垣りんのために」 「新潮」2024年1月号

◎立ち読み:新潮 2024年1月号
独りの椅子 石垣りんのために/梯 久美子

◎北海道新聞<言葉の現在地2024>書くことで一人を全うした 梯久美子さんとたどる石垣りん
編集委員 木崎美和  会員限定記事
2024年7月15日 9:27(7月16日 13:04更新)

・折々のことば:3287 鷲田清一 2024/12/8

「われわれは何について語っているのか」
     (ピエール・ルジャンドル)
 何かを認識しようとする時、視野から外れるものがある。己の眼差(まなざ)しと思考とが拠(よ)って立つ台座である。人は他者について語っているつもりで、実は己をしか語っていないと、フランスの法制史家は言う。こうした歪(ひず)みはどの文化にも潜むもので、その歪みをこそ人はいつも人類学の調査対象とする必要があると。『西洋が西洋について見ないでいること』(森元庸介訳)から。
Ce que l'Occident ne voit pas de l'Occident. Conférences au Japon, Paris, Mille et une nuits, 2004.
森元庸介訳『西洋が西洋について見ないでいること 法・言語・イメージ[日本講演集]』以文社、2004年。

・折々のことば:947 鷲田清一
【朝日新聞デジタル】2017年11月29日05時00分
 一ばんしりぞけがたい誘惑は何かというと、まったく考えるのを放棄してしまいたいという誘惑よ。
 (シモーヌ・ヴェイユ)
     ◇
 それだけが「ただ一つ、これ以上苦しまないですむ方法」だと、炭鉱労働者や失業者を支援し、みずからも工場に入った思想家は言う。断片化された労働、機械の速度への隷従、命令への服従。気がつけば彼女自身が「服従よりもさらにすすんで、何ごともあきらめて受け入れるようになっていた」。『工場日記』(田辺保訳)から。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S13249838.html?ref=nmail_20171129mo

・"「百代の過客」から「旅する人(ホモ・ヴィアトール)」まで、人生はしばしば旅人に喩(たと)えられてきた"

・北尾トロさんは、『愛と情熱の山田うどん : まったく天下をねらわない地方豪族チェーンの研究』(河出文庫)という、埼玉県民のソウルフード、山田うどんの探求書の著者として記憶していた。

・"一人ひとりに抱きしめる人が現れるよう"中脇初枝さんの『世界の果てのこどもたち』や『伝言』では中国残留孤児や二世三世の思いが語られる。弱いけれど懸命に生きる人たちに対する眼差しが伝わってくる。

・「撮影することが仕事だけれども、その前に「場に入り込む」ことが先だと考えている。」(田附勝〈たつきまさる〉)
 幕末から明治にかけて全国を放浪した絵師・蓑虫山人(みのむしさんじん)(土岐源吾)に魅せられた写真家は、その足跡をたどる旅の中で、山人と自分、2人の存在がシンクロしてくるのを感じる。地の人々の暮らしの中に身を挿(さ)し込むことでようやくそこに沈殿する何かが撮れるようになる。山人の絵に漂う「優しさ」の正体もそこにあったと。『蓑虫放浪』(文・望月昭秀)の「あとがき」から。

書評

蓑虫山人


・折々のことば:3322 鷲田清一:朝日新聞デジタル「ぬしは ひとの道を ゆくな」(チャン・ソク(張碩 장석))

 生きものはいずれも満身創痍(そうい)、ぼろぼろになって生を終える。だが人々が鉤(かぎ)付きの網を張り、ゴミを投棄したせいで無用な傷まで負った鮭(さけ)は、最期にそのひん曲がった口元から人にこう告げる。同時代韓国の民主化運動の詩群に合流できず、牡蠣(かき)の養殖に従事した後、40年の沈黙を置いて著した詩の一つ「鮭の道」(戸田郁子訳、詩選集『ぬしはひとの道をゆくな』所収)から。
※日本オリジナル詩選集。巻末に詩人・四元康祐氏による解説「紅梅の銀河にひびく人間の歌」を収録。

大海原で
知を詠い、人を詠う

チャン・ソクは、かつて森の若いクヌギだった炭の声で宇宙を語り、錆びた釘とひずんだ板のかたい抱擁に自らの死を哲学し、生の全貌にふりつもる初雪の下に〈愛〉を探す。彼の詩を読むと、自分の詩がいつしか忘れていたものが見えてくる。まだ間に合うだろうか。もう一度最初から書き始めよう。
――四元康祐

チャン・ソク(張碩 장석)
1957年釜山生まれ。ソウル大学国語国文学科に在学中の1980年、朝鮮日報新春文芸の詩部門に「風景の夢」が選ばれ詩人としてデビュー。
その後40年間、詩を発表することはなかったが、2020年に第一詩集『愛はようやくいま生まれたばかり』と第二詩集『この星の春』 を刊行。以降『海辺にうっぷしている子どもに』『煤けた告白』と詩集を立て続けに出している。

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